2015年11月6日金曜日

条約を結んでは破棄するといった歴史

ケインズ流の経済政策は超インフレと高い失業率を解消するのに極めて有効であったし、その初期の軍事的成功はドイツ人のナショナリズムの高揚と利権拡大に大きく寄与したことは否めない。だが、ドイツの敗色が濃くなり、バラ色の未来から一転して悲惨な現実が突きつけられるようになると、ドイツ国民はヒトラーに疑念を抱くようになる。前線の兵士から母親のもとへ「僕たちはヒトラーにだまされていたんだ」という手紙が届いたり、ドイツ国防軍によるヒトラー暗殺の動きも出てくる。つまり、契約で約束された内容と現実がまったく違っている、契約違反ではないか、という疑念が芽生えたのである。契約はもしその内容にうそや違反があれば、なんら良心の呵責なしに、無節操とのそしりも受けずに破棄できるのである。だからこそ、西欧列強は条約を結んでは破棄するといった歴史を繰り返してきたのだ。

破棄する理由など探そうと思えばいくらでも見つけられるし、理由さえあれば何の躊躇もいらないのである。ましてナチスはアウシュビッツ隠しをはじめとして言い逃れできないうそや暴挙を行なっていたのであるから、ドイツ国民もまた何の躊躇もなく「自分たちはヒトラーにだまされていた」という理屈で堂々と自己正当化できるのである。ドイツ国民はヒトラーとの契約を虚偽であるとして破棄して、戦後新たに西ドイツ国民はアデナウアーとの間に、束ドイツ国民はウルブリヒトとの間に契約を結んだわけだ。むろん契約内容は前者が自由主義、後者が共産主義である。しかし、共産主義の契約内容は虚偽であるとして、それを破棄して西ドイツに逃げ出す国民が多数いたことは周知の事実である。

2015年10月6日火曜日

都市計画法の線引き

宅地開発要綱の制定は、高速道路の地下化とともに、企両調整局の生まれた最初の年に行なった二つの大きな仕事だった。これが市の強い姿勢のもとに、とにかく動きだす。その後の一二年間のあいだに、これによって市のうけた財政的利益だけでも、計算方法にもよるが、三〇〇〇億円を超えるだろう。もし、こうした制度がなく、法令どおりでやっていれば、市は完全に破産したか、すべての事業をストップせざるをえなかったところであった。

線引きの実情とは総合土地調整のチームにとって、次の大問題は、昭和四四年から施行された新しい都市計画法による「線引き」であった。「線引き」とは、昭和四四年から施行された都市計画法により、市街化を促進すべき「市街化区域」と、市街化を抑制すべき「市街化調整区域」の二つに区分しようという制度である。「線引き」は、わが国の土地利用法制史上、初めて実効ある手法をもちこんだ点で、問題点はあるものの評価すべき制度である。私権さえあれば、どこでも開発できるという野放しの土地利用に、歯止めをかけようというものであった。

こうした法律は、いつもそのあとで制定される政令、省令、そして主務官庁である建設省からだされる通達にょって運用され、せっかくの制度も有効活用ができず、地域に応じた戦略論や政策論のない機械的な適用になってしまう。他のほとんどの自治体では、そうした形で線引きが進行していた。というのは、所管する部局は、。建設省の都市局系列にあり。自治体内ではタテ割りの一部局にすぎないから、都市全体としての戦略論、政策論をもちえないし、また他部局からも口がだせない。

といって市の上層部も、主務官庁の通達にもとづいて行なっていれば、もっとも無難であり、これまた政策論をもたず、タテ割り部局の案に、若干の政治的妥協を加えるだけで、政策としての議論がされないままになってしまう。むしろ中央官庁の基準が、見とおしのない無秩序の政治的な圧力を、最低水準ながら防いでいるともいえよう。

このとき、もし横浜市がなんの政策ももたないで、建設省通達で線引きを横浜市の線引き戦略とすると、市内のごく一部をのでいて九〇%以上は市街化区域になってしまっただろう。すでに横浜市は東京方面からの鉄道、道路が何本も入っているし、まとまった大きな山地もない低い丘陵で、物理的にはどこでも開発可能だったからである。

2015年9月5日土曜日

新商品開発力の格差

新商品開発力の格差を、単に金融技術力の差として捉えることはできません。私の出身銀行をふくめ邦銀の金融技術力や人材の質はあまり遜色がないのですが、外資系の強味は、シカゴのトレーダー、ヘッジファンドのマネージャーなどを含むグローバルな市場参加者とのネットワークを築き、彼等との日常的なコンタクトを通じて、どのような商品にはどこでニーズがあるかを知り、それをデザインし、商品化し、在庫管理できる総合力にあると思います。また資本配分の機能をもつ債券市場での大規模な取引で得られる情報の質と量は、米系投資銀行の競争力優位の基盤になっていると思います。

同氏はその才能と人柄を惜しまれながら急逝した。「米系投資銀行と邦銀とでは、プロと草野球ほどの違いがある」と断じるC氏は、邦銀で役員を勤めた後、著名な英国マーチャントーバンクの日本代表を経て、米国投資銀行Yの日本法人社長となった。それゆえ、以下に紹介するマーチャントーバンク、米国投資銀行、そして邦銀の比較論は、彼の実体験に裏づけられている。

英国のマーチャントーバンクが、相次いで外資の軍門に降ったのは、グローバルなレベルで競争する意欲、資質が経営者に欠けていたからです。ビッグバン以降、自由化、国際化が進展するなかで、彼等は適切な施策を講じませんでした。マーチャントーバンクは過小資本で、大きなリスクをとれなかったのです。

また、債券部門、とくにトレーディング部門が軽視され、新しい金融商品の開発力の弱さにつながったと思います。デリバティブに対する認識やリスク管理能力も著しく低いものでした。企業体として管理・組織面の弱体、コンピューター化の遅れなども目立ちましたね。

大陸系金融機関は資本力を生かして買収を積極的に行い、経営の中核に市場部門のプロを据えるなど企業文化を大胆に米国型に変えつつ、総合金融サービス機関へ脱皮しています。本邦金融機関は、不良債権処理に追われて、まだグローバルな戦略を描くまでに至らないが、大陸系金融機関の戦略に学ぶべきだろうと思います。