2012年6月21日木曜日

かかわる者のクライエント像が病んでいる

非行の問題で、カウンセラーがこの子をこれからどうやって立ちなおらせていこうかと思っているときに、教師が、「これは非行少年だからどうしようもない」とか、「こんな非行少年はほっておいたほうがましだ」と思っていたりしたら、すごくやりにくいわけです。

教師には、「早く卒業して、いなくなってくれないかな」と思っている人もありますし、親のほうでもサジを投げてしまっているところがあります。フつちの子は精神病だと思います」などと平気で言う親もいます。そのときに、こちらが「いや、違いますよ」と言うと、親はすごく不機嫌になる。

これは、精神病だと言ってもらったほうが、親の気が楽になるからです。自分は正しいのに、子どもが精神病だからうまいこといっていないと思いたい。自分のサジ投げを正当化したいわけです。

つまり、金城さんが言われるように、「かかわる者のクライエント像が病んでいる」わけです。また、子どもの側でも、自分の親は精神病だと思いたい。だから、私たちがそれは違うと言うと、今度は子どもの機嫌が悪くなる。

そういうときは、全体をすりあわせていくことが大事になってきます。これに失敗した心理療法家は、「自分がせっかくこの子のいいところを見ようとしているのに、教師が非行少年あつかいするからだめだ」などと、教師の悪口を言うようになります。未熟な療法家ほど、「せっかくスクール・カウンセラーで行っだのに、校長の理解が得られない」などと嘆きます。

教師も、親も、すべて含めていくのがカウンセラーの役割ですから、これではカウンセリングになりません。そういうのをすべて込みでやるのが心理療法家であり、心理療法家はそのためのプロなのです。

たとえば、担任の先生が「あれは非行少年だからどうしようもない」と言ったら、「ほう、そうなんですか」と言って、それに耳を傾けて聴く。教師が非行少年はいかにあつかいにくいかということをとうとうとしやべりますから、それを「ふんふん」と感心しながら聞いて、それから、「それにしても、先生、なんとかならんでしょうかね」と言ってみると、おもしろいもので、突き放していた教師のほうから、「いや、こんないいところもちらっと見えたりするんですよ」などと言うようになります。そうしたら、すかさず、「さすが先生、生徒のことをよく見てますな」と感心していたら、その先生も変わってきます。

教師や親のイメージを無理に変えようとしても変わりません。このように相手の力を利用して対処していくと、向こうから自然に変わっていくのです。

人間というのは関係の中に生きていますから、全体の中でイメージを合わせていくということがかんじんだし、一人が変わることで、全体が変わってきたりします。そのためにも、心理療法家は全体が見えていなければならないのです。