2014年12月5日金曜日

乱世の雄・治世の雄

『スカルノとスハルト偉大なるインドネシアをめざして』白石隆岩波書店、英雄が時代を創るのか、時代が英雄を生むのか、古くて新しい関心である。社会の基盤が揺らいで未来が不透明な「乱世」においては、傑出した指導力と行動力をもつ英雄が権力と権威を手にして時代を切り拓いていく。「治世」にいたれば未来は予測可能となり、現世を安定的に統御する社会的要請が生まれ、それに応えて新しい指導者が輩出するのであろう。

乱世においては乱世の、治世においては治世の時代を担うにふさわしい人物が登場して歴史が紡がれていく。東アジアの指導者、毛沢東、朴正煕・全斗煥と盧泰愚・金泳三も、そうした観点からの対比が可能なように思われる。インドネシア建国の半世紀を担った英雄がスカルノとスハルトである。本書は二人の思想と行動を現代史に縦横にからませて語った著作である。乱世を背景に登場した理想主義的な革命家としてのスカルノ、安定と開発をめざした治世の政治家としてのスハルトの人物像の中に、現代インドネシア史を臨場感をもって浮かび上がらせている。

社会的安定性を維持しながら経済開発を成功させようという権威主義的な開発のスタイルがスハルトのものであり、現実主義的な彼はその追求に少なくない成果を勝ち得た。しかし、スハルトの治世下で育った中産層や学生たちはこの重苦しい権威主義体制から逃れようとしている。その社会的摩擦が、スカルノの長女メガワティの民主党総裁選出に端を発した一九九七年七月のジャカルタでの暴動であったという。

ここではスハルトのアンチテーゼとしてスカルノが「記号化」されている。このインドネシアの動向は、改革・開放の経済的高揚期の中国において毛沢東が、政治的民主化時代の韓国において朴正煕が「再評価」の対象になっている事実と通底している。インドネシアが、そしてアジアが建国の英雄たちの呪縛から自由になることはまだ容易ではないようである。

2014年11月6日木曜日

アジア諸国に産業革命

たまたま近年、日本周辺のいくつかのアジア諸国に産業革命が続発し、それら諸国は近代化・産業化への道を歩み始めた。これまで近代化・産業化は、日本を唯一の例外として、もっぱら西欧的・欧米的な事件だったから、「アジアの時代」の到来は、たしかにこれまでの歴史の常識に対して、書き換えを迫るたぐいの大事件である。

これまで、近代化・産業化は、白人だけに可能な事柄であり、非・白人として唯一それに成功した日本は、せいぜいのところ、非常な変わり者とみなされてきたにすぎない。知識人がしばしば口にする「日本特殊性」論とは、究極のところそういうことだろう。ところが「アジアの時代」の到来は、それを実行できるのが、けっして日本人だけではないことを実証した。そこに、日本の前例が大きな励ましとなっていることは、ほぽ疑問の余地がないだろう。

しかしその点は(とくに、人種問題のようなデリケートな問題は)、日本人がことさら大声で言い立てるべきことではないだろう。私たち日本人は、それを胸の奥底深く秘めて、ひそかな誇りとすれば足りる。とくに既成勢力である白人にとっては、それは非常に気になる事柄であり、できることならばいちばん触れられたくないことかもしれない。また、非・白人であるアジア諸国の人たちにとっても、日本が「よき前例」だなどと言っては、彼らのプライドを傷つけるかもしれない。

いずれにしろ、こうして、アジアに対する人びとの関心は、いまや高まりに高まっている。いまから四半世紀あまり前、私が一年間インドネシアに住み、その政府で働くという形で、最初の「アジア体験」をしたころには、たとえば日本の書店には、アジア関係の本などほとんど並んではいなかったし、雑誌の編集者などは「『アジア特集』は絶対に売れない」と言うのが常だった。それも悲しかったが、それとは様変わりの近年のアジアーブームも、私は手放しで喜ぶ気にはなれない。なぜならそれは、あまりに唐突で、バブルの臭いがするからである。

とくに気になるのは、アジアで大きな力を持つ中国系の華僑資本が、言わば商業資本的で、短期間での資本の回収を重視しすぎるところである。したがって、商業やホテル・不動産関連のプロジェクトはスムーズに伸びるけれども、資本の回転期間の長い製造業などは、どちらかと言うと不得手とする。ひとくちで言うと、それは「拝金主義」的に過ぎる。カネにまったく関心がなくては、産業革命は起こせないが、他方、カネに対する関心が強すぎても、うまく行かないのではないか。

2014年10月6日月曜日

M&Aを容易にするための法律改正

TOBの対象となった企業は、公開買付に対する意見表明報告書を、公告が行われてから10営業日以内に提出しなければなりません。以前、TOBへの賛否の意見表明は任意でしたが、法改正によって、義務となりました。例えば、2010年2月に三菱レイヨンが、三菱ケミカルホールディングスにTOBされる際に賛同表明を行いましたが、意見表明報告書には、買付価格の評価、統合後のシナジー、上場廃止になることの評価など長い説明が含まれました。公開買付の結果は、株式市場全体に影響を与える重要情報であるため、公開買付者は、公開買付の結果を公告しなければいけません。

2010年1月にKDDIは、米国のメディア大手のリバティーグローバル傘下の中間持株会社3社を3617億円で買収して、国内CATV最大手のジュピターテレコム株の38%を持つ筆頭株主になると発表しました。KDDIは結果としてジュピターテレコム株の3分の1超を獲得することになるにもかかわらず、TOBの手続きを経なかったため、金融庁が手続きを問題視しました。金融庁の指摘を受けて、KDDIは持株比率を31%にとどめると発表しました。KDDIは買収対象が持株会社であり、ジュピターテレコム株9 3分の1超を直接取得するわけではないので、TOBの手続きは必要ないと考えたようですが、金融庁は資産管理会社の株式取得は、TOB規制に抵触すると発表しました。

これに対抗して、ジュピターテレコム株の28%を保有する、2位の株主の住友商事がTOBで、保有比率を40%に引き上げると発表しました。KDDIはジュピターテレコムへ取締役3名を送り込むことになりましたが、多額の資金を注ぎ込みながらも、経営上重要となる3分の1超の株式を取得できなかったことから、KDDIにアドバイスした法律事務所や証券会社の手腕に疑問が呈されました。2010年4月に住友商事とKDDIは、トップ会談を経て、ジュピターテレコムの企業価値向上に協力することで合意しました。

近年、日本のM&A関連法制は大幅に改正されて、日本のM&A増加に寄与しました。M&Aを通じて、日本企業の国際競争力を改善させたいという経済産業省が大きな役目を果たしてきました。政府はこれまで1997年の持株会社解禁、1999年の株式交換制度、2001年の会社分割制度の導入、2007年5月の外国企業との株式交換の解禁などM&Aを促進する様々な制度変更を行ってきました。

持株会社は、1947年に制定された独占禁止法の9条で禁止されていました。日本が高度経済成長を謳歌し、1990年にバブルが崩壊した後も、財閥復活を彷彿とさせる持株会社解禁は長年実施されませんでした。1995年に政府の規制緩和推進計画の中で、持株会社禁止の見直しを検討することになり、1997年12月の独占禁止法改正で、持株会社が解禁されました。日本企業の組織再編を容易にし、競争力を高めるという目的がありました。1997年12月にダイエーが持株会社1号として、ダイエーホールディングコーポレーションを設立しました。その後八社名にホールディングスと名前がつく、持株会社設立が急激に増えました。エイペックスーグループーホールディングスや角川グループホールディックスなどのようにグループとホールディングスの両方が社名についた企業もあります(新聞社の方が、最近は社名が長すぎて表記に困るという話をしていました)。

2014年9月5日金曜日

インフォームド・コンセントの前提条件

ここでは、複雑さを避けるために、患者は知的・精神的能力が普通で判断力のある成人の場合に限定して話していくことにする。医師が患者に説明してインフォームドーコンセントを得ようとする際に、前もって患者に話して、はっきりと理解し納得してもらっておかなければならない諸条件として、次のようなものがある。

《患者の医師への質問の自由》
医師が患者に説明している時に、わかりにくいことやわからないことがあったら、質問をすることは患者の自由であり、理解し納得するまで反復して質問をして差し支えない。

《患者が同意した医療を実施した時の医療上の責任》
患者がある医療を受けることに同意して実施された医療上の責任は、患者にはなく、同意を受けた医師にあり、その医師は患者が同意した医療を行なったことを理由として患者に医療の責任を転嫁することは許されないことになっている。

《患者の同意拒否権〉
医師が患者に説明し診療行為の選択肢を与えて同意を求めた場合、患者はいずれの選択肢にも同意をしなくてもよく、法律の許す範囲内で同意拒否権があると同時に、診療を拒否したために起こりうる医学的な結末について説明を受ける権利がある。

《患者の同意撤回権》
患者が医師に同意を与えた後でも、患者の考えが変わった場合には、同意を撤回したり変更を求める権利があり、同意した医療が開始前なら中止し、開始後でも中止が可能な場合には中止してもらう権利があり、そのような場合でも、医師は患者との人間関係を悪化させてはならないことになっている。

《医師を選ぶ患者の権利》
患者は医師を選ぶ権利があり医師を変える権利もある。

《患者の診療拒否権》
患者は、医師の治療に満足しなければ診療を拒否する権利がある。

《患者の医療の選択権の制限》
患者は医師が説明した選択肢の中から選択をする権利があるのであって、説明されなかった治療法をその医師に要求しても、医師が承諾しなければ強制することはできない。たとえば、出生前診断で先天異常が発見された場合に、患者が人工妊娠中絶を医師に頼んでも、医師の宗教上の理由で実施できないと断られた場合に、患者は医師に強制することはできない。

以上のことを事前に患者に話して納得してもらってから、インフォームドーコンセントのための説明に入るのがよいとされている。

2014年8月8日金曜日

生態系が急速に変わる

いま、世界の森林(樹冠面積が当該地域の二割以上の閉鎖林)面積は約二五億ヘクタール存在する。うち一一億ヘクタール弱が熱帯林である。この半世紀聞に熱帯林の面積は四割減少したが、アメリカ政府やFAOの予測によれば、さらに今世紀末にかけての十数年内に、発展途上国の森林は四割減少するだろう。しかし先進工業国の森林資源は、ほぼいまと変わらない。現在、年一一〇〇万ヘクタールの熱帯林が伐採されている。その三分の一。は国内の焼畑農業、農牧地開拓、薪の採取のためである。残りの面積からの本材が主として先進国に輪出されている。アジア人牛洋地域で輸出される木材の半分は日本が輸入している。

森林はたんに木材資源を生産するばかりではない。それは水資源をため、水循環を保ち、降雨を保障する。また、土砂の流出や侵蝕を防ぐ。多くの野生鳥獣が住み、人間生活を豊かにする。目本の国土の三分の一一は森林におおわれ「その多面的な機能によって国土の多様性と可能性を生み出し、安全で豊かな国民生活に寄与している」(科学技術庁『日本の資源』一九八一年)。

しかし熱帯地方では、貴重な森林が急速に失われている。森林の伐採については一定の樹数を残したり、再植林を義務づけているところも多いが、これは守られなかったり、また再植林のアフターケアが行なわれないために苗木の枯死率も高い。最近ではチーク材がパルプ原料や合板用として用いられるために、人手の会社が巨木を伐採した後、中小木を中小会社が伐採し、丸裸にしてしまうケースもしばしばある。

いったん森林が失われると、生態系が急速に変わる。鉄砲水が出て、土壌が流失する。雨が降りにくくなり、旱ばっが起こる。森林の破壊は人間生活の貧困化を促進する。今日、世界における資源問題の大半に、豊ふな先進国の浪費と貧しい発展途上国の不足とが隣り合っていることから生じている。しかもこの貧しい途上国は自国で生産するエネルギー資源の大部分を豊かな国に輸出して、先進国の高い生活水準を支えているのである。アメリカの一人当たりエネルギー消費量はインドのそれの三四倍、日本のそれはインドネシアの一三倍に及ぶ。インドネシアでは八六年に一億四二〇〇万トン(石炭換算)のエネルギーを産出しながら、国内で利用されたのはその三分の一にすぎず、その差は輸出された。

しかも豊かな国では使い捨ての消費文明が形成され、年々莫大な量の消費財が捨てられている。日本では大多数の家庭電器製品は平均六-八年で廃棄され、一九八〇年には一〇軒に一軒が冷蔵庫を、また六軒に一軒がカラーテレビ受像機を棄てたとみられる。自動車は二軒以上が保有しているが、その反面、最近四半世紀に約二五〇〇万台がスクラップ化した。産業廃棄物の排出量は七三年の一億三六三二万トンから八三年には二億二〇五五万トンヘと一年間に六割強ふえ(『資源ハンドブック』一九八九年版)、国民一人当たり一日のごみ排出量は七七年の七九五グラムから八七年には八八九グラムへと増加した。

2014年7月17日木曜日

米国の戦略目的と米軍の役割

それにもかかわらず、現在から二〇一五年までの予想される世界は危険で、きわめて不確実であり、米国の同盟国と友好国に対する国境を越えた大規模侵略の可能性がなお残っているとし、そのもっとも懸念される地域として中東と朝鮮半島を挙げている。次に情報と高度技術の拡散によって、ある国やテロリストーグループが強力な軍事力を持つ可能性が増大してきた。

特にNBC兵器とその運搬手段、インフォメーションーウォーフェア、高性能通常兵器、ステルス能力、無人機、宇宙の利用、また宇宙空間で相手国の利用を妨げる能力が拡散しつつある現状を懸念、東アジアにおいてぱ、このような拡散が領土問題を抱えている地域内での微妙な軍事づフンスを崩す危険性が指摘されている。

さらに懸念要素として、テロ行為の激化、麻薬取引、国際犯罪組織、大量不法移民などを挙げ、通常型軍事力の分野で米国が圧倒的優位を占めるがゆえに、敵対勢力はテロや、NBC攻撃、インフオメーションーウオーフェア、環境破壊などの「非対称的手段」によって目標を達成しようとする危険性が出てきたとする。

今後十五~二十年間において、米国は世界唯一の超大国(スーパーパワー)としての地位を確保し続けるであろうし、通常戦力において米国に敵対できるような地域勢力や地域連合勢力が台頭する可能性は考えにくいものの、新しい技術による脅威や米国にとって重要な地域・施設へのアクセスが失われるといった「予想を超えた(ワイルドーカード)シナリオ」が発生する可能性もあるため、米国はそのような事態にも対応できるような軍事的能力を維持せねばならないとした。

そして、このような安全保障環境とは次の二つの仮定に立脚しているとする。まず今後の十五~二十年間において米国は政治的、および軍事的に世界に関与していくであろうし、現在の、および潜在的なライバルに対しての軍事的優越性を維持し続けるという仮定である。そして、もし米国が世界への関与をやめ、外交的主導権を放棄するか軍事的優越性の維持を放棄するなら、世界は現在よりも危険で、米国とその同盟国、友好国、およびそれらの利権に対する脅威は、もっと厳しいものになるだろうという仮定である。

2014年7月3日木曜日

不動産売買や貸借の仲介などの不動産業務

不動産の売買や貸借をする場合に、互いにその相手方を見つけるのはなかなか困難なものです。土地は同じものが絶対に二つないわけでナし、建物についても、人によって好みがいろいろ違います。そこで、信託会社などが双方からの申し込みを受け付けて、その希望にかなったものをあっせんすることが必要です。この仕事は、戦前からの伝統的な業務ですし、終戦直後信託会社の経営が苦しい時代に、その大きな収入源となったこともあります。昭和四十年代に入ると、いわゆる衣食が足りて住居だけが不足している状態となり、また会社工場などの新増設や都心の過密地からの移転が盛んになってきた事情をも反映して、再び信託にとって重要な仕事となってきました。

特に、既存の不動産の単純な売買のあっせん(仲介業務)といったことから一歩踏み出して、お客の依頼を受けて宅地の造成から分譲、あるいはマンションの建築販売などの企画を立て、これらの資金が足りないときは融資をしたり、販売の事務を代行するなどの販売提携業務の推進により新しい住宅供給に積極的に取り組んできています。新聞の不動産広告で、分譲マンションなどの場合に、売主○○不動産、販売提携(代理)○○信託銀行といった表現をご覧になった方も多いことでしょう。

そのほか、信託会社は信託の方法によらないで、代理契約で不動産の管理や処分をすることは不動産信託の項で述べた通りですし、また不動産について取引代理(売買の約束は、お互いに成立していて、契約書を作ったり物件の受け渡しや登記など実際の事務手続きだけを代行すること)や登記代理などいろいろの代理事務を行っています。

なお、これら不動産に関する仕事は、従来はだれでもできたのですが、土地の値上がりと住宅難につけこんで、悪質なブローカーがはびこって被害を受ける人も出てきたので、昭和二十七年に宅地建物取引業法が制定され、国家試験を受けた一定の資格のある人しか営業できないことになりました。したがって、信託会社も不動産の売買貸借の仲介を中心とする業務については、この法律の適用も受けるわけです。その後、この法律は、何度か改正され、媒介契約制度の新設、流通機構の整備など流通巾場の近代化が進められています。信託会社の売買仲介は昭和六十三年度中に三万四千三自件、取り扱い金額三兆五万百九十九億円に上っています。

2014年6月18日水曜日

「強蓄積」メカニズム

中国における集権的計画経済から市場経済への転換は、たしかに「世紀の実験」というにふさわしいドラマである。この転換を、中国はどのように試みてきたのであろうか。転換の軌跡を追うことは容易ではないが、興趣のつきないテーマである。毛沢東時代の集権的計画経済のメカニズムがいかにして形成され、そして「自己破壊」していったのか。

どのような経緯を経て、計画経済のメカニズムが新しく市場経済のメカニズムへと転換していったのか。本章では、その論理を追ってみたい。論点の中核は、「蓄積メカニズム」である。第一次計画期(一九五三~五七年)以来、長きにわたり中国経済の中核に位置してきたのは、「全民所有制単位」すなわち国営の重工業部門であった。重工業化を通して貧しい農業国段階を脱し、豊かな社会主義国家をいちどきに実現することがめざされたのである。

旧中国の「半封建・半植民地」の「負」の遺産を継承し、かつ狭小な耕地に過大な人口を押しこんだいちじるしく貧困な農業国として出発した新中国が、そうした「初期条件」を顧慮することなく急速な重工業化をめざしたことは、顧みて無謀な試みであった。しかし、中国は国共内戦に淵源をもつ米中対決、一九五六年のソ連共産党大会におけるスターリン批判によってはやくも露わとなった中ソ対決という、超大国とのきびしい政治的・軍事的緊張下で建国を進めざるをえなかったのである。

往時の中国の指導者が、重工業化を通してみずからを強国たらしめぬ以上、革命の成果を守りぬくことができないと認識したのには、無理からぬものがあった。農民大衆運動を通して社会主義中国を掌中におさめ、強大な権力を一身に集めた毛沢東の純粋で空想的な社会主義観が、そうした「急進主義」を生んだもうひとつの要因であった。

国民経済の圧倒的部分を低生産性の農業が占めるという初期条件のもとにありながら、なお重工業化を急速かつ大規模に展開しようというのである。そのための資源を求むべきさきは、いかに低生産性とはいえ、農業部門以外にはなかった。

2014年6月4日水曜日

信託の終了

信託財産の管理や運用をしていくうちに、財産の形が初めと変わったり、増えたり減ったりすることがあります。たとえばおカネを受け入れて、それで株式や社債を買った場合とか、建物の信託を受けて、それが火事で焼けて火災保険金を受け取った場合などで、これらもすべて信託財産であり、もちろん信託法の保護を受けるわけです。

一方、受託者は信託財産を忠実に管理し、その増減や変更を記録した帳簿を備えて、いっでも委託者や受益者などに対して財産の状態を説明できるようにしておかなければなりません。ただし、受託者の管理が適当でなかったために、信託財産に損害を与えたときとか、受託者が委託者との約束を守らないで勝手に財産を処分したようなときは、委託者や受益者は損害の賠償や処分の取り消しを受託者に請求することができます。

信託は信託契約に定めてある目的が実現したり、契約の期間が終わったときになくなります。たとえば、子供の学資金に充てるための信託は、その子供が学校を卒業すれば目的が終わるので、信託は終わります。また五年とか十年とかあらかじめ信託の期間を定めておいたものは、その期間がたてば信託は終了します。もっとも、いろいろの事情で、途中で信託を続けていくことができなくなって終わることもあります。たとえば、不動産の信託で建物が火事で焼けてなくなってしまったような場合です。そのほか、委託者自身が受益者であるときは、信託の契約を解消することができます。しかし、以上のようないろいろの理由から信託が終わっても、受託者が受益者に信託財産を引き渡してしまわないうちは、まだ信託は続いていると見なされます。

したがって信託は、実際には信託財産の返還によって終わるといえます。なお、受託者は原則として途中でその任務を辞退することはできません。そして、もしやむをえない事情でやめるとき、または受託者に不都合があって裁判所の命令によってやめさせられたときは、頼まれた信託の仕事を他の新しい受託者に引き継ぐことになっています。したがって、受託者の方の都合によって信託が終了するということはありません。ただし、証券投資信託と貸付信託の無記名式証券の場合、信託期間が満了して相当年月がたって受益者(証券の持ち主)がわからないときは、委託者または受託者がこれを整理して信託関係を終了させることができます。

なお、信託法には、信託の期間についてなんら定めていませんが、永久とか千年といった非常識に長い信託は実際には無効といわれています。特に、イギリスでは永久信託をはっきり禁止する規定があります。そこで実際は、せいぜい五十年とか百年とかの信託が一番長いとされています。

2014年5月22日木曜日

政策エリート自身の判断ミス

銀行など金融機関の行動は、いかに批判しても批判しすぎということはないが、そこで話が終わってしまっては、もちろんすこぶる中途半端である。なぜなら、その銀行にしてもヽもしかりに当時、金融の超緩慢が生じ、カネがダブダブにダブつくことがなかつたと仮定すれば、あれはどの愚行に走ることは、よもやなかったにちがいないからである。そして、金融の舵取りをし、マネー・サプライの任に当たるのは、言うまでもなく大蔵省・日本銀行などの政策当局であり、そこで働く政策エリートたちである。

したがって議論は、前章末尾近くで触れた「ハーヴェイーロードの前提」の問題に、ふたたび戻ることとなる。日本の「人の上に立つ人」すなわち政策エリートたちは、はたして彼らの守るべき「規律」を、よく守り得たであろうか。

残念ながらその答えは、言うまでもなく「ノー」だろう。というのは、もし彼らが、当然守るべき「規律」にしたがって行動していたと仮定すれば、金融の超緩慢は発生しなかったにちがいない。つまり、彼らの行ったマネー・サプライは著しく過剰であり、それはきわめて重大な政策ミスだった。

ところで、「ハーヴェイーロードの前提」に関連して前述したとおり、政策ミスには二つのケースがある。第一は、政策エリート自身が、判断ミスをおかす場合であり、第二は、政策エリートの判断は正確だが、それが政治的圧力によってねじ曲げられる場合である。

はたしてこのケースはどうであったか。明らかに、それは第一のケース、すなわち政策エリート自身の判断ミスだろう。それは、当時の事態の推移をひととおり観察しただけでも明らかだろう。たとえば、菅野明氏(全国銀行協会連合会専務理事)は次のように回想し、証言する。なお菅野氏は、当時、日本銀行理事として、政策決定の中枢にいた。

2014年5月2日金曜日

資本主義か社会主義かというイデオロギー上の違い

大量難民の発生が国際社会一般の重大関心事となる事情の一つとして、大量難民の流入が、経済的に脆弱な、さらには複雑な民族問題をかかえている近隣諸国にとっては重い負担となることがあげられる。そして近隣諸国の負担は、国際社会のより広い範囲に波紋を投じるのである。二〇世紀には、このような現象が世界のあちこちで生じた。この状況と、これに対して難民保護のための一般的な国際的制度が歴史上初めてつくられ、拡充されたことに着目して、二〇世紀は「難民の世紀」である、としばしばいわれる。

また、もう一つの事情として、大量難民が発生した国の対応や一般大衆に対するその統治のあり様が、各国の人々の関心を集めたことがあげられる。難民が生ずることは、当人ばかりではなく、その祖国にとっても不幸なことである。とりわけ、大量難民の場合、祖国のダメージは大きい。祖国は、自国の建て直しに欠かせない量的にも質的にも貴重な労働力や頭脳を失う。また、祖国はこのような事態発生によって、対外的な信用や信頼を失い、その政治的ステータスを傷つけられ、国際取り引き関係を失う。それだからこそ、例えば、以前ソ連が国連などで表明した主張の趣旨によると、ソ連は、理論上は完全無欠であるはずの共産主義の下から難民が生ずることを、どうしても認めなかったのである。

そのため、このような対内的かつ対外的な影響を考えて、祖国政府は、説得したり、強圧を加えたりして自国民が流出しないようにしようとし、その経済的または社会的な状況を変えていこうとする。東欧からの難民の大量流出が、東欧諸国での歴史的な変革のきっかけとなったことは、非常に印象的であった。では、二一世紀には、難民、とりわけ大量の難民の発生は少なくなるであろうか。確かに、難民条約成立の背景となっている東西陣営の対立の図式は崩れた。しかし、二〇世紀末の現段階でみるかぎりでは、深刻な貧困状況や厳しい民族対立問題をかかえている国が多い。これらの国々がヽ状況を変えること喘今のところ非常に難しい。二一世紀でも貧困や民族対立が原因となって、大量の難民が発生しないともかぎらない。

しかも、二〇世紀になって、資本主義か社会主義かというイデオロギー上の違いのいかんを問わず、国家権力は一般の人々の生活の多くの面に、様々な方法で関与するようになった。その反面、人々は、自らとのかかおりを通じて国家権力のあり様、政策の実像またはイデオロギーの実際的意味を知るようになった。情報手段の急速な進歩によって、このことがいっそう容易になり、さらに、交通機関の発達によって、人々が国外へ移動することがよりたやすくなった。二一世紀に、この状況は、もっと加速的にすすむと考えられる。

そうなると、人々は、他国から耳や目に入ってくる情報を参考にしながら、自国政府の政策をじっと見つめ、それを評価する。そのうえ、交通機関が発達しているとすれば、他国に容易に移ることができるという思いが強まり、人々のなかに高い「流動性」が生じてくる。このような状況のもとで、一般の人々をがっかりさせるような政策や政府の措置がうち出されると、それが、大量流出のきっかけとなる。

2014年4月17日木曜日

暴力団幹部に依頼され

大阪地裁(杉田宗久裁判長)で8日から始まる覚せい剤密輸事件の裁判員裁判で、大阪地検が起訴状の表現をわかりやすくするため訴因変更を請求し、地裁に認められた。

杉田裁判長からの異例の要望を受けたもので、「情を知らない」を「事情を知らない」などと改めた。

訴因変更請求書によると、「(覚せい剤が)隠されている事実を秘して」としていた部分を「隠匿されている事実を隠して」と修正。「輸入しようとしたが、その目的を遂げなかった」を「輸入するに至らなかった」などと書き換えた。

地検は「公判を円滑に進めるために必要と判断した」としている。

大阪地裁で行われている覚せい剤密輸事件の裁判員裁判は9日午前、覚せい剤取締法違反(営利目的密輸)などに問われた神戸市垂水区の無職・二星(にぼし)芳樹被告(57)に対し、検察側が「被告が持ち込んだ覚せい剤は大量。暴力団の資金稼ぎの手足となった犯行で、責任は重大」として懲役10年、罰金500万円を求刑。

最終弁論で「暴力団幹部に利用されただけ」として、執行猶予付きの判決を求め、結審した。

男女各3人の裁判員と杉田宗久裁判長ら3人の裁判官は評議に入り、同日夕に判決を言い渡す。

起訴状などによると、二星被告は暴力団幹部に依頼され、5月14日、中国から飛行機で関西空港に帰国した際、覚せい剤約1・8キロを手荷物の木箱に隠して密輸したとされる。8日の初公判で、二星被告は起訴事実を認めた。