2015年10月6日火曜日

都市計画法の線引き

宅地開発要綱の制定は、高速道路の地下化とともに、企両調整局の生まれた最初の年に行なった二つの大きな仕事だった。これが市の強い姿勢のもとに、とにかく動きだす。その後の一二年間のあいだに、これによって市のうけた財政的利益だけでも、計算方法にもよるが、三〇〇〇億円を超えるだろう。もし、こうした制度がなく、法令どおりでやっていれば、市は完全に破産したか、すべての事業をストップせざるをえなかったところであった。

線引きの実情とは総合土地調整のチームにとって、次の大問題は、昭和四四年から施行された新しい都市計画法による「線引き」であった。「線引き」とは、昭和四四年から施行された都市計画法により、市街化を促進すべき「市街化区域」と、市街化を抑制すべき「市街化調整区域」の二つに区分しようという制度である。「線引き」は、わが国の土地利用法制史上、初めて実効ある手法をもちこんだ点で、問題点はあるものの評価すべき制度である。私権さえあれば、どこでも開発できるという野放しの土地利用に、歯止めをかけようというものであった。

こうした法律は、いつもそのあとで制定される政令、省令、そして主務官庁である建設省からだされる通達にょって運用され、せっかくの制度も有効活用ができず、地域に応じた戦略論や政策論のない機械的な適用になってしまう。他のほとんどの自治体では、そうした形で線引きが進行していた。というのは、所管する部局は、。建設省の都市局系列にあり。自治体内ではタテ割りの一部局にすぎないから、都市全体としての戦略論、政策論をもちえないし、また他部局からも口がだせない。

といって市の上層部も、主務官庁の通達にもとづいて行なっていれば、もっとも無難であり、これまた政策論をもたず、タテ割り部局の案に、若干の政治的妥協を加えるだけで、政策としての議論がされないままになってしまう。むしろ中央官庁の基準が、見とおしのない無秩序の政治的な圧力を、最低水準ながら防いでいるともいえよう。

このとき、もし横浜市がなんの政策ももたないで、建設省通達で線引きを横浜市の線引き戦略とすると、市内のごく一部をのでいて九〇%以上は市街化区域になってしまっただろう。すでに横浜市は東京方面からの鉄道、道路が何本も入っているし、まとまった大きな山地もない低い丘陵で、物理的にはどこでも開発可能だったからである。