2012年12月25日火曜日

高額に及んだ治療

Yさんは結婚してなんと三ヵ月から、義父母に「(妊娠しないのは)どこか身体がおかしいんじゃないか」と迫られ、不妊治療に通院せざるを得なかったそうだ。最初に出会った不妊治療医のため、かえって卵管に重大な損傷を受けた。その後医者をかえたが、以来五年間、次々に開発される不妊治療を、すべてにわたって受け続けてきた。その彼女が、これまでの治療について、具体的に次のように説明してくれた。

不妊治療のための検査や治療を受けた病院は一〇ヵ所で、話だけ聞きにいったのは二ヵ所。治療は、一九八四年から一九八八年まで行なった。最初の一年は、近くの医院で不妊かどうかの観察治療。二年目は、少し離れた検査設備の整った病院や時には県外の病院に通院し、様子観察および不妊検査、後半は漢方薬や鍼灸治療も加わる。

三年目は、前半は不妊治療が優秀だと評判の遠くの大学病院へ、後半はその大学系列の自宅近くの総合病院で不妊治療を受けた。四年目前半は、前年に引き続き同じ総合病院で、後半は不妊治療で有名な遠くの個人病院へ、夫婦間人工授精(AIH)を受ける。五年目には、前年に続き、遠くの個人病院でAIH治療を、また一度ギフト法(配偶子卵管内移殖法)の体外受精を受けるためにA市の病院へ行った。

この五年間には、遠い病院や近くの病院、また高額に及んだ治療や簡単な治療などいろいろあった。さらに、そのような不妊治療で有名な病院には、わらにもすがる思いで女性たちが殺到するから、診察の待ち時間も相当なものであった。それらをすべてひっくるめて、通院した日数は四〇〇日、平均すると一回分は四時間四〇分をかけ約三OOO円也を払って治療を受けたことになる。しかも一日がかりの通院が月に平均で八日。そのうえ次回治療は自分の排卵、月経周期に左右されるわけだから、必ずしも定まったものではなく、アルバイトどころか、人と会う予定さえまったく立てられなかった。

そして最後に、「これまでかかった費用や、月経を確認するたびにまた、だめだったと、落ち込んでしまうつらさも、それから人工授精の苦痛や所要時間の浪費ももう慣れた。しかたがないと思う。けれども、それより、何よりもつらかったのは、身近な義父母など夫の親族たちから与えられる『不妊女は女じゃない』という有言、無言の抑圧だった」と語っている。

一九八九年の初秋、国立婦人教育会館で開かれた国際女性学会で女医レナーテークラインさんは、「現在、女性の身体にほどこされている不妊のための生殖技術の成功率は、ほんの四%だ」と報告してくれた。一〇〇人受けて、たった四人しか成功しない。それについてY子さんは、「高い数字を引き出すために、体外受精では対象女性の身体状態について何度も何度も検査やチェックをし、ちょっとでも受精確率が低いと考えられる因子が見つかれば、即刻追い返された」と語った。

2012年9月26日水曜日

モノの「ゆたかさ」からココロの「ゆたかさ」 へ

従来の考え方に従いますと経済学とは「人間の生存のための収入、所得、財政支出などの経済的な条件を検討するものである」といった常識がありました。しかし、「人間のココロ」に触れる、という問題を取り上げようとしますと、「人間のコミュニケーションと文化の発展のための経済的な条件を吟味する」ことが求められましょう。

ここでは「文化を充実させ享受しようとする消費者、企業、芸術文化関係者、自治体、政府はどのような経済行動を行うか」を多方面から探ってみました。また、J・ラスキンなど芸術や文化の経済学を創造してきた先駆者たちの考え方や現代における「生活の芸術化」への傾向など、いくつかの興味のある論点を付け加えて文化経済学の全体像を描き出すよう努力しました。

福沢諭吉以来、『学問のすすめ』には著者の教育への思いが込められています。この本では、文化経済に関心をもつビジネスマンや芸術文化関係者だけでなく、これから経済学や財政学を学習してみようと考えている学生諸君や市民の「経済学入門」ともなりうるように心掛けました。さらに学習を深めたいと考える方々には巻末の参考文献解題を御参照いただければ幸いです。

最近の企業や官庁における人間関係の特徴は一緒に仕事をしていても相手が「何を考えているのか」がわからない、ことにあると言われています。昔は「心に鎧(よろい)を着せる」という言葉がありまして、対話の相手の本当の気持がわからない、とか、相手の熱意が伝わってこないことに対する当事者の「いらだち」を表現していました。

今どきの若者でしたら最近、源氏物語などの古典ブームの影響もあって「あいつは十二単(ひとえ)だからな」と言うところでしょう。これは、なかなかにして、うまい言い方です。つまり柔らかい絹の着物でも十二枚を重ねれば、正装した本人の「真意を知ることは難しい」という状況を見事に言い当てています。たしかに、「よろい」よりも「じゅうにひとえ」のほうが一見すると優しそうで実に強固な防衛線が張られていることを示す素材としては最適なのではないでしょうか。

2012年8月23日木曜日

盧泰愚大統領の拒否

盧泰愚大統領も首脳会談に意欲を示した。ソウル五輪直前の一九八八年八月一五日の演説で南北首脳会談を呼びかけた。だが、ソウル五輪に反対していた金日成主席が応じるはずはなかった。盧泰愚大統領は、腹心の朴哲彦補佐官を何度となく平壌に派遣し、首脳会談の実現を求めたが、北朝鮮は応じなかった。

一九九〇年には、南北首相会談のために韓国入りした北朝鮮の延亨黙首相にも、盧泰愚大統領自ら首脳会談の提案を行ったが、金日成主席は応じなかった。ところが、一九九二年の春になって金日成主席は対南担当の尹基福書記を韓国に送り、四月一五日に平壌で首脳会談を行うことを提案した。盧泰愚大統領は、考えた末にこの申し出を断った。この時に決断していれば、南北首脳会談はすでに実現したのでれる。

なぜ、盧泰愚大統領は拒否したのか。四月一五日は金日成主席の誕生日である。その誕生祝いに、南の大統領が祝賀の挨拶に来たと宣伝されるのを心配したのである。

金日成・金泳三首脳会談合意

金泳三大統領は、カーター元米大統領の仲介で金日成主席との首脳会談に合意した。首脳会談は一九九四年の七月二五日に行われることになった。金大統領がまず平壌を訪れ、その後に金日成主席がソウルを訪問することになっていた。金日成主席は、ソウルで一〇〇万人の市民を前に「即統一を宣言する」と側近たちに語っていたという。だが、首脳会談一七日前の七月八日に金日成主席が急死し、会談は実現しなかった。

朴大統領への首脳会談提案

公開されたアメリカの外交文書によると、金日成首相は朴正煕大統領に何度も首脳会談を提案したという。初の南北対話が実現する直前の一九七二年五月二九日に、北朝鮮の朴成哲副首相が密かに韓国を訪問した。朴副首相は、朴正煕大統領と会見し金日成首相の意向として、南北首脳会談を提案した。しかし、朴大統領は頑として受け入れなかった。

全斗煥大統領への首脳会談提案

離散家族の再会が実現する直前の一九八五年九月五日、北朝鮮の許鎖副首相が密かに韓国を訪問し全斗煥大統領と会見した。許副首相は。金日成主席の親書を手渡し「首脳会談を行い、七・四共同声明(一九七二年)に基づいた統一案を作り南北不可侵宣言を行いたい」とのメッセージを伝えた。

全斗煥大統領は、一九八一年に南北首脳会談を提案したことがあった。北朝鮮はこの提案を逆に利用しようとしていると、全大統領は感じたようだ。全斗煥大統領がこだわったのは、自身を暗殺しようとしたラングーン爆弾テロ事件への謝罪であった。しかし、許鉄副首相は事件については「認めることも、謝罪することもできない」と譲らなかった。

この言葉で、全大統領は首脳会談には応じられない、と判断した。北朝鮮が対南軍事統一の方針を変えない限り、いくら首脳会談をしても意味がないからである。「史上初の首脳会談実現」への誘惑を感じながらも、全斗煥大統領は積極的な姿勢を見せなかった。「いくら紙の上に不可侵宣言を書いても、信頼を回復しない限り意味がない」と語ったのだった。それでも、会談を失敗に終わらせないために「金日成主席も、お元気なうちにソウルを見にこられたらどうか」とのメッセージを託したのだった。この背後には、金日成主席がソウルにはこないだろうとの判断があった。

この会談から1ヵ月後に、全斗煥大統領の腹心の部下として知られる張世東・国家安全企画部長が密かに平壌を訪れたが、金日成主席は、もはやソウル訪問に関心を示さなかった。

米朝・日朝正常化が首脳会談の目的

南北対話には、もう一つのセオリーがある。それは、対話を必要とした目的が達成され国際的な苦境を脱出すると、北朝鮮は対話の中止に向かうのである。

それでは、北朝鮮が二〇〇〇年六月の南北首脳会談に応じた本当の目的は何であったのか。それは、米朝正常化の早期実現と日朝正常化への環境作りであった。

二〇〇〇年一〇月に行われたクリントン・趙明禄会談の前に、米朝両国は「テロに関する共同声明」を発表し、北朝鮮はテロ行為を激しく非難しテロを支援しない方針を明らかにした。これは、米朝正常化への最大の障害の一つを取り除き、クリントン大統領の訪朝を実現するためにはどうしても必要であった。この「テロ放棄」と「南北対話の実現」が、米朝の正常化の実現に最低限必要な条件であった。

こうして米朝正常化への道筋が示されれば、日本も後を追いかけるように正常化に応じるであろうというのが、北朝鮮の計算である。南北首脳会談発表後に、日朝正常化交渉が再開され、米朝首脳会談も実現したのである。こうしてみると、北朝鮮の狙いはみごとに成功したといってもいいだろう。

どうして、北朝鮮の目的が首脳会談と南北の交流促進ではなく、米朝正常化と日朝正常化であると判断できるのか。北朝鮮が韓国にまったく譲歩していないからである。

例えば、南北の鉄道連結で合意したとして、韓国側では工事の起工式が行われた。ところが、北朝鮮側では起工式を行わず工事が始まらなかったのである。これは、北朝鮮としては工事に取り掛かるつもりがないことになる。南北の国防相会談も実現したが、国防相聞のホットラインの開設や軍事演習などの軍備管理・軍縮に関する問題では、まったく進展がみられなかった。経済協力でも具体的な合意はなかった。南北の閣僚級会談でも、北朝鮮側の代表は現職の閣僚ではなく、工作機関の高官であった。これは、北朝鮮が韓国をなお「工作」の対象として考えており、普通の「国」の関係には移行していない事実を物語っているのだろうか。

南北首脳会談が統一への協力を目的とするなら。なによりも南北首脳会談の定期化など南北の関係をより組織的で日常的な状態に移行させなければならないが、首脳の定期会談には合意していない。また、北朝鮮の生産設備や産業の再建などの具体的な課題に直ちに取り組まなければならないはずだが、北朝鮮はそうした意向も希望もまったく示していないのである。

2012年7月2日月曜日

世界の情勢に逆行している日本

日本の国内線では幹線にジャンボ機、準幹線に二〇〇-三〇〇席クラスのB767、ローカル線に一五〇席クラスのB737やMD-81が飛んでいるが、ジャンボ機が国内線で頻繁に使われている国など、他にはない。

航空大国の米国でさえ、国内線にジャンボ機は飛んでいない。ジャンボの短距離型B747SRは日本用に開発された機体であり、世界最大のジャンボ機のユーザーは、日本航空(一〇〇機以上を購入)なのだ。

乗客が増えると、日本では機材を大型化するのだが、欧米では運航便数を増やして頻度を高めるのが常識だ。便数を増やせば便利になって乗客はさらに増えるからだ。

一日一往復しか飛んでいない路線に朝夕二便が運航されれば、日帰りで旅行ができる。一日五便ともなれば、飛行機のスケジュールから受ける制約は小さくなって自分の都合でフライトを選ぶことができる。

ところが日本では、東京や大阪圏の空港容量が満杯のため、機材の大型化で吸収しようとする。これは平均旅客数からも浮き彫りになる。羽田空港を発着する飛行機の旅客数は一便あたり二三四人だが、ロンドンのヒースロー空港は一〇三人、ニューヨークのケネディ空港では何と五九人しか乗っていない(九六年実績)。

鉄道を含めて国内で最大の旅客がある東京-大阪(伊丹・関西空港発着を含め)間でも、航空便は一日三四往復なので平均二七分に一便、もっとも便数の多い東京-札幌線(世界でも最大の航空旅客数)でも運航便数は一日(六時から二一時まで)四五便なので、平均二〇分に一本の割合だ。羽田を九時以降の出発で午前中に千歳に到着できる便は、五本しかない。

ところがニューヨーク-ワシントン間(複数空港を使用)は六時から二二時三〇分まで一五〇便なので七分弱に一本、ダラスーヒューストン間は一一五便(三一時まで)なので八分に一本の割合で出発している。

エアラインを選ばなければ、時刻表など見なくても大丈夫だ。だが、機材は一五〇-ニ○○席のB737、B757が中心で、客数の少ない時間帯には四八席のアエロスパシアルATR機や三〇席のジェットストリームも運航されている。

とにかくフライトの頻度を高くし、乗客を待たせない。これは欧州でも同様で、ドイツの幹線であるフランクフルトーミュンヘンでは二I○席のA340から八〇席のアブロRJ85までを使い分け、一日一三便が飛んでいる。

ところが日本の場合、幹線では二三〇席クラスの機材に満たない時間帯はフライトを運航しないため、空白の時間帯ができてしまう。さらに、ローカル路線でも一五〇席クラスのB737やエアバスA320で採算に乗らない路線は運航しない。

そこで、そんな大手の硬直的な態勢の間隙をついて、さらに小型の機種で採算に乗せようというエアラインが登場してきた。


日本が開発製造したYS-11

戦後の日本の航空産業の総力を挙げて自主開発したターボプロップ(ジェットエンジンでプロペラを回す)機。双発のエンジンながら六四人の乗客を運べるという経済性と実用性を買われ1962年の初飛行ながらいまでも世界中で79機が活躍する。

日本国内での引退は2006年に決定していることから、搭乗の機会があれば心して味わいたい。
なお、後継のジェット機の開発が決まらないため、日本の航空機技術が途絶える心配が出ている。

ローカル線で活躍のサーブ340B

スウェーデンの自動車・航空機メーカーの開発した小規模路線用のターボプロップ機。36席で小回りがきく。国内では日本エアコミューターで使用。

機内からの見晴らしがよいフォッカーF-50

胴体の上に主翼が付いているので、翼にさえぎられることなく大きな窓から眺めを楽しめる、オランダのフォッカー社の製造による50人乗りのターボプロップ機。

ひと昔前に日本のローカル線で活躍したF-97フレンドシップの発展型だ。名古屋を本拠地に地方路線を飛び回る中日本エアラインサービスで使用。

これから増える50人席のカナディア・リージョナルージェット(CRJ)

カナダのカナディア社製コミューター機。史上初の五〇人乗りのジェット機で欧米で急速に広まっている。ビジネス用ジェット機を基礎に再設計したもので、騒音が少なく、乗り心地もよい。日本でもコミューター路線のジェット化が増えることから導入は多くなりそうだ。国内ではフェアリンクとジェイエアで導入。

300人乗りの双発機A300

機内に旅客用通路二本を備えた広胴機で300人の乗客を収容できながら、中・短距離用としてエンジンを双発に抑えた経済的な旅客機。短距離型のB2(航続距離2800キロ)や中距離型のB4(3500キロ)、収容力を拡大し(308席)、性能を向上させてパイロット2名で操縦できるようにした発展型の600などがある。1600シリーズ以降が新鋭機といえる。

生産機数も500機を超え、日本ではJASの主力機になっている。乗り心地は軽快で、離陸後の機首上げ角度が大きいので、初めて乗ると驚くほどだ。

200席クラスで経済性の高いA310

ダグラスDC18やボーイング727の後継機を狙った200席クラスの経済性の高い短・中距離機。胴体はA300のものを短縮化し、操縦室は大幅に電子化した。アジアやロシアのエアラインが使用して、日本にも乗り入れている。中距離用の200(航続距離6500キロ)、長距離用(250席、同9600キロ)がある。

B737の対抗機種A320

ライバルのB737やDC-9よりもひと回り太い胴体と、思い切った電子機器の採用が特徴の150席クラス機。フライ・バイ・ワイヤ方式の電子操縦装置と、ハンドル状の操縦押の代わりにパイロットの座席横にサイド・スティックと呼ばれる棒状の操縦悍を配置するなどして操縦室を革新。

150席、航続距離3250キロの100、180席、4280キロの200、胴体を3.7メートル短縮し、定員を134席に減らしたA319、胴体を6.9メートル伸ばし定員を220人、航続距離を4350キロまで拡張したA321も就航している。エアバスの半数以上がA320シリーズで占められていて、ベストセラー機だ。日本ではANAグループが採用。

大型中距離用の双発機A330

A300の胴体を延長し、A320で開発した電子操縦装置を組み合わせた中距離用の機体。最大で440席を収容可能。B777と見分けるには、翼先端のウイングレットが付いているか否か(A330にあり)がわかりやすい。アジア地域のエアラインが日本路線にも使用。

大型長距離用の四発機A340

A330のエンジンを四発に替え、長距離用に開発された姉妹機。欧州のエアラインが日本路線にも多く使用しているほか、全日空が5機を発注済み。

基本型の1200は300席、航続距離1万3400キロだが、胴体を4.5メートル延長し乗客を440名まで収容できる300(航続距離1万2000キロ)がある。巡航速度はマッハ0.82となっているが、0.86のジャンボ機と比較して日本-ヨーロッパ間の所要時間で30分の差が出る。

2002年に就航する開発中の機体としては、300の胴体を1.6メートル延長し航続距離を1万5740キロまで伸ばした500、9.1メートル延長して乗客数を390席(国際線用の3クラスジャンボの411席に近づく)とした600がある。

コミューター機

コミューター機とは、地方の小規模路線や離島路線で活躍する、座席数60席以下の機種である。




ボーイング717

マクダネル・ダグラス社がMD-80シリーズ最小の100席クラスとして開発し、経済性とエンジンの静粛性を売り物にしている機種。ボーイングがMD社を吸収したことにより生き残った最後のダグラス機。海外では売れ行きはよいが、日本のエアラインは未発注。

ダグラスは1970年代まではボーイングと対抗していた名門旅客機メーカーのダグラスだったが、ボーイングの商品企画力、販売力に敗れた。かつてはユナイテッド、デルタ、イースタン、日航、SAS、KLMなどがダグラス社の上得意だった。

軍用機メーカーのマクダネル社に吸収されてマクダネルーダグラスとなっても凋落はとまらず、97年にボーイングに吸収された。ボーイングはダグラス部門の立て直しを理由に、重複する機種の生産を次々と打ち切ったため、残っだのは100席クラスのMDI95(ボーイング名でB717)だけと
なったが、世界の空ではまだ数多くのダグラス機が飛んでいる。

300席クラスの中・長距離機DC-10

もともとは米国の大陸横断線用に開発されたアメリカ版エアバス機。主翼に二基、水平尾翼に一基の三エンジンが特徴。四発機よりも経済的で、長距離飛行にも耐えられる。初飛行は70年の300席クラスの広胴機。海外の航空会社の要望に応えて燃料タンクを増設し、航続距離を8300-9700キロまで延ばした130と140がある。日本ではJALグループがアジアや太平洋リゾート路線でまだ使用している。

DC-10の改良型MD-11

DC-10の胴体を六メートル伸ばして収容人数を50人増やし、電子技術をふんだんに取り込んで二名のパイロットで操縦可能にしたことによって経済的なハイテク機体になったのがMDI-11。

燃料タンクを増設し、ウイングレットを付けるなど主翼を設計し直して空気の抵抗を少なくするなどの改良を加えたことで、航続距離は1万1500キロに伸びた。日航や欧米のエアラインが長距離便に使用しているが生産は終了。

経済性と低い騒音が特徴のMD-80/90

細い胴体に短い主翼と胴体後部にまとめられた双発エンジンが特徴。もとは短距離線用ベストセラー機になったDC-9を発展させた機体だ。DC-9は地上の支援態勢が不十分なローカル空港でも「整備、操縦に手間がかからずタフに飛び回れる」ことを開発テーマにしたことが、エアラインに支持された。

胴体はボーイング737よりもひと回り細いのだが、座席を一列少ない五列配置にしかことにより、乗客当たりの左右のスペースは広い。乗客の定員が80名の10から、172名の183までさまざまな発展型がつくられたのは、機体がシンプルで汎用性があったからだ。

ダグラスがマクダネルに吸収され、機種名もMDシリーズに変更になったが、87と88、90は経済性と騒音の小ささが魅力だ。日本ではJASがローカル線に使用。

大型旅客機の納入シェアで33%の実績(99年)を上げるまでに成長したエアバス・インダストリーは、仏、独、英、スペインの大手航空機メーカーにより構成される共同事業体。取り決めにもとづき、製造は参加企業に割り当てられる形で進められてきたが、2001年に各社の出資による株式会社に移行す。

「欧州主要都市を行き来し、バスのように手軽に200人乗りの大型輸送機」というコンセプトでスタートした。基本構想のA300は七二年に初飛行し、当初は註文の少なさにあえいでいたが、石油危機などによって双発機A300の経済性が評価されて注文が集まるようになり、短距離路線や長距離路線用の派生機種を開発して超大型機以外の分野でボーイングに対抗できるラインアップをそろえるまでになった。受注総数4223機、納入機数2544機(2001年2月末)。

日本にはないボーイング757

一八〇席クラスの双発機。経済性に優れているため、米国エアラインでは多用している。機体が大きいにもかかわらず旅客の歩ける通路が一本しがないため、通路での行き違いをしにくいこと、乗り降りに時間がかかることから、乗客の評判はいまひとつ。日本企業は採用していない。

国内線でおなじみのボーイング767

二〇〇席クラスに双発エンジンで経済性を重視して開発された。機内の通路が二本ある広胴機なので、エコノミー席でも座席は横に213-2列配置で動きやすい。東南アジア線や国内の準幹線で活躍している。欧米ではB767で中都市を結ぶ大陸間便が数多く就航している。

日本のメーカーも部分的に開発製造を担当し、エアラインでは日航と全日空が使用。座席数二三五席、航続距離四〇〇〇キロの-200と、胴体を延長し二七〇席、三三〇〇キロの300がある。

ただし巡航速度はマッハ〇・八〇と比較的遅い。最新型の1400ERは三〇五人の乗客を乗せて一万四〇〇キロを飛べるので、日本からニューヨークまでをギリギリながらノンストップで飛行できる。

国際線でも活躍の場を広げる「トリプルセブン」

B767の派生型から独立した機体なので外観は非常によく似ているが、双発機としては世界最大の旅客機。ボーイングとしては初めて操縦系統にフライ・バイ・ワイヤ方式を採用したハイテク機。

機体の開発にあたっては、エアラインから技術者が参加してユーザーの立場からの要望を反映した。機内にはゆとりスペースもあり、乗客の評判はよい。

日本では大手三社がそろって採用。三七〇席の標準型と、ジャンボ機並みの四七七人乗りの1300がある。ジャンボ機よりもひと回り小さいが、経済性にすぐれているためジャンボ機に置き換えられて就航する路線が増えている。

ERと命名された延長型の開発が進んでいる。二〇〇一年に就航する200ERは航続距離が一万六一六〇キロまで伸びるので、これまで日本で給油が必要だった米国東海岸から香港やマレーシアなどへの直行も可能になる。

300ER(航空距離一万三二八〇キロ)も二〇〇三年に就航予定。双発機ながらも長時間の洋上飛行を認められているので、今後は太平洋や欧州とのノンストップ路線にも積極的に使用されそうだ。

ボーイング

ボーイング社は、米国初のジェット旅客機のボーイング(B)707が営業的に成功を収め、今日の繁栄の基礎を築いた。短距離路線用一〇〇席クラスのB717から727、737、757、767、777、そして長距離路線用超大型機のB747で、コミューター航空を除く航空路線に対応できる品揃えになっており、世界の大型旅客機のシェアの六七%(九九年の納入実績)を占める。

ボーイングファミリーの特徴は、経済性、汎用性に優れていて使いやすいことだが、後部に三基のエンジンをまとめた727を除いて機材にとりたてて個性がない。各機種とも派生型が多く開発されている。

短距離路線用ボーイング737

生産機数三五〇〇機を誇るベストセラー機。一〇三席の基本型-(ダッシュ)100の初飛行が一九六七年でありながら、いまでも派生機種の開発、納入が続いている。B707の胴体の前部をスパッと切り取った形の広い胴体に、エンジンニ基、パイロット二名の簡素化した設計が成功した。割安な機体価格に高い経済性で、エアラインに人気がある。日本でもローカル線の主力機となっている。

現在の生産はエンジンを替えて性能と静粛さの向上、操縦席の電子化を図って中身を一新した1400(一五六席、航続距離五三七〇キロ)、500(こ一六席、二七八〇キロ)、操縦室に最新の電子航空技術のフライ・バイ・ワイヤ方式(油圧などの圧力をケーブルを通して操縦を行うのでなく、操縦装置の動きを電気信号に変えてモーターを動かし、ワイヤ電線で補助翼などに伝える方式)を採用した600(一三二席、二七九〇キロ)、700(一四九席、二九四〇キロ)、-800(一八九席、三五七〇キロ)が中心になっている。

大量輸送時代をひらいたボーイング747

米軍の戦略輸送機として計画されたが、コンペでロッキードに敗れたため、旅客機に変更して成功した。当初は、それまでの旅客機の四機分(旅客を三六〇人乗せた上に貨物を四〇トン積める)というあまりの大きさを持てあまし、一部の路線にしか使われないものと考えられていたが、大量輸送時代を拓いた。

対抗機もないことから当初の予想をくつがえしてロングセラーとなった。意外に思われるのは、ジャンボな図体ながら、速度が速い(マッハ〇・八五-〇・八六)ことだ。ちなみに面白いことに、「ジャンボ」の意味には「のろま」などマイナスイメージもあり、当の米国では愛称として使われていない。

超大型機の実現によって、ゆったりした客室、安い運賃が実現。基本型の100、飛行距離が短く離着陸の頻度の高い日本の国内線用に座席数を増やし脚部などを強化したSR型、エンジンを増強して長距離を飛べるようにした200、二階席を延長して収容人数を増やした1300(国内線用オールエコノミークラス仕様で五六三席)、新技術を使用し客室と操縦室などを含めて全体の設計をI新した-400(国際線用三クラス仕様で四三〇席、国内線用仕様で最大五六八席)がある。二階席は人数が少なく、静かでよい。

400は機体の設計を刷新し、最新の電子航空技術を取り入れてパイロット二名で操縦できるなど、経済性・安全性が向上しているほか、ウイングレット(主翼先端の小翼)の採用(国内線用の機体にはない)などで空気抵抗が減り、満員の乗客と貨物を満載して、東京-ニューヨーク間などの長距離ノンストップ飛行が可能になった(航続距離一万二三〇〇キロ)。機内も空間が広くなり、頭上の荷物棚の収納スペースが大幅に増えたことから、長距離便でもほとんどの乗客の手荷物を収納できる。

いま世界ではこんな機体が飛んでいる

かつてのエアラインは、サービスだけでなく使用機種でも競争をしていた。パンナムはボーイング707、ノースウエストはダグラスDC-8、BOAC(英国海外航空)はコメット、エールフランスはカラペル、旧ソ連のアエロフロートはイリューシン62など自国の最先端の機種をしたがえ、世界の空で戦っていた。航空産業とは本来、航空機の開発と運航するエアラインの、ハードとソフトの総合的な戦いなのだ。

ところが、ジェット旅客機の開発規模がケタ違いに大きくなっていったことから、巨額な資金(エアバスA300は二五〇〇億円、コンコルド九二三〇億円など)と販売力が不可欠になった。

せっかく新しい機材が開発できても、販売数が一〇〇機を下回ると開発コストを回収できず、巨額の赤字が残ってしまう。ジェット旅客機の開発はリスキーなビジネスになってしまったのだ。

旅客機市場からは、英国のデーハビランド、BAC、ビッカース、フランスのシュド、米国のコンベア、ロッキード、ロシアのツポレフなど、老舗のメーカーが次々と脱落し、淘汰されてしまった。

そして、かつては数々の名機を開発し、ボーイングと競ってきたダグラスも最終的にボーイングに吸収されるに及んで、世界の大型旅客機(一〇〇席以占メーカーは、米国のボーイングと欧州連合(EU)のエアバスーインダストリーの二社になってしまった。

この二社は、大型旅客機の分野で、短距離路線用から長距離路線用、一〇〇席クラスから三〇〇席以上まで、それぞれの需要にあわせた機種をそろえている。

また、ジェットエンジンは専門メーカーが開発しており、大型旅客機用のメーカーとしては、米国のプラット・アンド・ホイットニー(P&W)、ゼネラルエレクトリック(G且、英国のロールスロイス(RR)、フランスのスネクマがGEと共同開発したCFM、日本を含む五力国の共同開発によるIAE(インターナショナルーエアローエッジッズ)などが主要なところだ。エンジンメーカーは主要な機種に使えるエンジンを開発して用意するので、エアラインは性能や整備の都合を考えてエンジンを発註する。

日本人はとにかくジャンボ機が好きだ。大きくて安定感を感じるのかもしれないが、ジャンボ機のマイナス面もある。搭乗する乗客が四〇〇―五〇〇人と多いことから、搭乗や降機に時間がかかるし、エコノミークラスの座席は横一〇列と乗客数が多いので、窓側は横三列になり、間にはさまれる真ん中の席は最悪だ。かえって、横七列で構成されているB767クラスの方が楽である。

ここでは現在世界の空を飛んでいる機体の中から、日本関係の路線に就航している機種を中心に紹介しよう(機内の座席配置、トイレの数、内装などは、ユーザーであるエアラインの方針や就航路線の特性によって決められる)。

2012年6月21日木曜日

かかわる者のクライエント像が病んでいる

非行の問題で、カウンセラーがこの子をこれからどうやって立ちなおらせていこうかと思っているときに、教師が、「これは非行少年だからどうしようもない」とか、「こんな非行少年はほっておいたほうがましだ」と思っていたりしたら、すごくやりにくいわけです。

教師には、「早く卒業して、いなくなってくれないかな」と思っている人もありますし、親のほうでもサジを投げてしまっているところがあります。フつちの子は精神病だと思います」などと平気で言う親もいます。そのときに、こちらが「いや、違いますよ」と言うと、親はすごく不機嫌になる。

これは、精神病だと言ってもらったほうが、親の気が楽になるからです。自分は正しいのに、子どもが精神病だからうまいこといっていないと思いたい。自分のサジ投げを正当化したいわけです。

つまり、金城さんが言われるように、「かかわる者のクライエント像が病んでいる」わけです。また、子どもの側でも、自分の親は精神病だと思いたい。だから、私たちがそれは違うと言うと、今度は子どもの機嫌が悪くなる。

そういうときは、全体をすりあわせていくことが大事になってきます。これに失敗した心理療法家は、「自分がせっかくこの子のいいところを見ようとしているのに、教師が非行少年あつかいするからだめだ」などと、教師の悪口を言うようになります。未熟な療法家ほど、「せっかくスクール・カウンセラーで行っだのに、校長の理解が得られない」などと嘆きます。

教師も、親も、すべて含めていくのがカウンセラーの役割ですから、これではカウンセリングになりません。そういうのをすべて込みでやるのが心理療法家であり、心理療法家はそのためのプロなのです。

たとえば、担任の先生が「あれは非行少年だからどうしようもない」と言ったら、「ほう、そうなんですか」と言って、それに耳を傾けて聴く。教師が非行少年はいかにあつかいにくいかということをとうとうとしやべりますから、それを「ふんふん」と感心しながら聞いて、それから、「それにしても、先生、なんとかならんでしょうかね」と言ってみると、おもしろいもので、突き放していた教師のほうから、「いや、こんないいところもちらっと見えたりするんですよ」などと言うようになります。そうしたら、すかさず、「さすが先生、生徒のことをよく見てますな」と感心していたら、その先生も変わってきます。

教師や親のイメージを無理に変えようとしても変わりません。このように相手の力を利用して対処していくと、向こうから自然に変わっていくのです。

人間というのは関係の中に生きていますから、全体の中でイメージを合わせていくということがかんじんだし、一人が変わることで、全体が変わってきたりします。そのためにも、心理療法家は全体が見えていなければならないのです。

2012年5月16日水曜日

アメリカは「オーガニゼーション」から「フリーエージェント化」になりつつある

ピックさんは、時代は転換していて、何十年もアメリカ経済を象徴してきた「オーガニゼーション」から「フリーエージェント化」になりつつあると主張します。ウィリアム・H・ホワイトの「オーガニゼーション・マン」は、私も大学の経営管理論か何かのテキストとして読んだ記憶があります。

「オーガニゼーション・マン」は、日本風にいえば「会社人間」です。アメリカの大企業もまた、かつては終身雇用、安定した給料、医療保険や企業年金などの保障を従業員に与えていました。

これは「企業は家庭だ」というような家族的温情主義(ス夕-ナリズム)を背景にしており、それに対して、従業員は人生を通じての会社への忠誠を誓い、一生懸命働いていたのです。

ところが、八〇年代、九〇年代の、M&A(企業買収)や競争の激化と大企業の経営悪化なとがら、家族的温情主義は捨てられ、人員削減やレイオフといった大リストラが進行します。

その中で、一人一人が幸せに生きていくためには、会社に依存するオーガニゼーション・マンからフリーエージェントに転換しなければならないと主張するのです。ピンクさんはフリーエージェント化の進行の理由として、企業の路線転換の他に、生産手段の個人化、組織の寿命が短くなっていること、そして多くの人々が仕事にやりがいを求めるようになってきたことをあげています。

アメリカのフリーエージェント人口は3300万人だそうだ

ピンクさんはクリントン政権で、九五年から九七年にゴア副大統領の首席スピーチライター(演説原稿を書く人)を務めたアメリカ政治の中枢部にいた人です。ストレスと過労で身体を壊し、ホワイトハウス勤めを辞めて独立しました。

自宅で仕事をするようになると、家族と過ごせる時間がとれてストレスも少なくなり、体調がよくなったと喜んでいて、その体験もあるのでしょうが、フリーエージェントを肯定的に捉えています。

アメリカのフリーエージェント人口は控え目に見て三三〇〇万人で、全米の労働者の約二四パーセントにあたると、ピンクさんは推計しています。他の経済誌や経済政策研究所は四OOO万人以上が非従来型の、常用されない労働者だといっています。

さらにある市場調査会社は、二〇一〇年にはアメリカの労働者の四〇パーセント以上がフリーエージェントになると予測しているそうです。

ピックさんは、フリーエージェント人口三三〇〇万人の内訳を、フリーランスが一六五〇万人、臨時労働者が三五〇万人、起業家がニニ〇〇万人としています。フリーランスとは自分の手に技能があって活動している人で、起業家とともに肯定的に捉えています。

また、臨時労働者は、多国籍企業の九割以上が常に使っていて、アメリカ経済に欠かせない存在になっていると分析していますが、その労働と生活は厳しいとも書いています。