2016年4月6日水曜日

最近の中国の対日行動

この問題は小泉退陣後も引き続きアジア問題兼内政問題として継続することになるが、首相が靖国参拝をやめれば中韓と仲良くなれると考えるのは、見当違いも甚だしい。中曽根首相が公式参拝をやめた後に何か起きたかを思い出せばよい。江沢民は代わりに「歴史の鑑」なる葵の御紋を取り出して、あらゆる場面で日本の過去を断罪する戦術に出た。来日した際には外交の場だけでなく宮中晩餐会の席においてまで「歴史の鑑」をふりまわし、心ある日本人を唖然とさせ、心ない日本人を喜ばせた。

最近の中国の対日行動を連ねてはっきりしてきたことは何か。経済大国日本の政治大国化を何としても防ぎたいという一貫した狙いがあることだ。端的に表現すれば「新華夷体制」の構築、これが中国の狙いである。日清戦争で日本が勝利し下関条約で清国にその放棄を約束させるまで、東アジアには中華帝国に周辺の夷秋が定期的に朝貢し、その地域の支配者であることを認知する冊封を受けるという国際システムが存在した。日本は朝鮮、琉球と並んで「東夷」に属していたが、実際には日本は七世紀の有名な聖徳太子の国書以来独自の対等外交を展開しており、この点で終始中華帝国の朝貢国として忠勤を励んだ朝鮮と対応が異なっていた。

戦後独立した韓国は、軍事政権のもとで南に国を開き日米から援助・投資・技術移転を獲得して高度成長につなげたのであるが、北朝鮮シンパで固めた金大中、廬武鉉政権は「民族」を「国家」に優先させる北帰行に励んできた。政策の失敗、政権基盤の弱体を補うためには、反日カードを切って政権浮揚を図るしかないという状況にある。中・韓はかつて大中華・小中華意識をもって「島夷」日本に対して優越感を抱いていた。ところが近代以降「富国強兵」に成功した日本との間でこの上下関係は逆転した。優越感は劣等感に転じた。経済力・軍事力の増強を背景に、これをなんとか旧に復したい、「島夷」に対して優越感を抱きたい。その具体的現れが靖国であり歴史認識であり、ただ今目には見えない新システムが、赤い中華帝国を中心とし「島夷」を従えた「新華夷体制」の構築なのである。日本の国連常任理事国入りに反対するのもそのためである。靖国参拝をやめれば中韓と仲良くなれるというのは、問題の根本を把握できない小学生並みの発想である。

2016年3月5日土曜日

国際理解の教材

窓際で、六年生の女子七、八人が丸いテーブルを囲んで真剣に何かを書いている。担任の女性教師が『私の恐怖は』という副読本を示した。インドのカルカッタの子どもは食べ物もなく、学校へも行けず一家で物乞いしなければならない恐怖、バングラデシュの農村の子どもたちはサイクロンで人も家も押し流されてしまった恐怖、カンプチア難民の少女は両親も殺されてひとりぼっちの孤児になった恐怖、ベトナムの子どもたちは戦争について聞かされた恐怖、日本のヒロシマの子どもとデンマークの子どもは核戦争への恐怖。様々な恐怖におびえる現代の各国の子どもたちの物語を通じて、それを取り除くために何ができるかを話し合ったのです」。人権、平和、開発を結びつけた教育実践だった。

こうした地球的視野の教育は各科目にとりいれられていた。「たとえば、家庭科ではカレーを作りながら米を通じてアジアの農民を語り、バナナを通じて中南米プランテーションを調べるというように、どんな科目でも第三世界のことにふれるように心がけている」と、教師の一人、ウーレ・ベンゼン氏はいった。

図書室には、ハルトマン氏の本も並んでいた。何しろすでに二十五冊も書いている開発教育の第一人者である。『ジャマイカの子どもたち』『スーダン』などのアフリカシリーズのほか、『途上国に生きる』は地理の授業用に何万部も売れたという。どれも現地を訪ねてとった写真をふんだんに使い、親しみやすく書かれている。

「南の国の人々を貧しくみじめに描くのでなく、われわれと同じに泣いたり笑ったりする人間なんだ、と子どもたちが感じ取れるようにしたかった」というハルトマン氏は大学時代から国際関係に関心を持ち、ユニセフのスタッフになって開発教育に目を向けた。六〇年代後半、国際理解の教材はあっても、開発問題には適当な本がなかったので書き始めた。今は、消費の方法を子どもたちに考えさせる本に取りかかっているという。「結局、豊かな国の人々が暮らしを変えないと南は貧しくなるばかりだから」と、ハルトマン氏は畑に囲まれたシンプルな家で穏やかに語るのだった。

日本でも開発教育に関心をもつ人々が八〇年代に入って開発教育協議会を結成し、毎年全国研究集会を開いたり、季刊『開発教育』を出したりしている。学校現場で個人的に実践する教師もぼっぼつ出て来た。しかし、文部省の管理が強まるなかで、開発教育の広がり方は遅々としている。八年近くたっても、「開発教育」という言葉もまだほとんど一般に知られるまでに至らず、ほかの呼び方を考えたりしている状況だ。また内容も政治抜きの異文化理解にとどまることが多く、開発のあり方を問い、南北の不公正な経済構造にまで目を向けさせ、日本の責任を考えさせ、行動を起こさせる、という本来の開発教育とは程遠い現状である。

2016年2月5日金曜日

軍事力行使に言及

第二の「平和創造」を見てみよう。これは、従来、憲章第六章の「平和的な紛争解決」によって国連が追求してきた課題だった。報告書は調停と交渉の重要性を指摘する一方で、国際司法裁判所の強化を打ち出し、西暦二〇〇〇年までに、「裁判所の一般的な管轄権を一切の留保なしに受け入れる」ことなどを提言している。だが、ここで最も重要なのは、報告書がこの「平和創造」の一環として、「軍事力の行使」をあげている点だ。

ガリ報告書は、「平和的な手段が失敗した場合には、憲章第七章で規定された措置を取ることが、集団的安全保障の概念の真髄である」としながらも、安保理か、第四二条で想定された国連軍による軍事行動を取ってこなかったこと。湾岸危機にあたっては、「安保理に代わって措置を講ずる権限を、加盟国に与える方法を選んだ」と総括した。

その上で、「現在の政治状況においては、第四三条で規定された兵力提供の特別協定の締結を妨げてきた障害も、もはやその力を失った」として、正規の国連常備軍の態勢を確立するよう提言している。ここでガリ事務総長は、「第四三条に基づく軍隊は恐らく絶対に、最新兵器を装備した大規模な軍隊からの脅威に対抗できるほどの規模や装備を整えることはあるまい。しかし小規模の軍隊による脅威ならば対処できるはずである」と述べている。

ここで暗に想定しているのは、湾岸危機型の紛争には多国籍軍型の紛争処理で臨み、それよりも小規模の軍隊には常備軍で対処する、という基本設計だと思われる。だが、同時に事務総長は、こうした常備軍は「当分の間は実現しないだろう」として、より実現可能性のある、別の部隊の創設を提言している。これが「平和実施(執行)部隊」の構想だ。