2015年5月11日月曜日

「武力攻撃事態」と首相の戦争権限

すぐみるとおり、有事=防衛出動のみではない。もっと広く適用される。「有事法制研究」は、一九七七年八月、福田内閣の時代、三原朝雄防衛庁長官の指示で開始された。「日米防衛協力の指針(旧ガイドライン)」がはじめて作成された(一九七八年)のと同時期である。防衛庁公表文(一九七八年九月一二日)は、次のように述べている。研究の対象は、自衛隊法第七六条の規定により防衛出動が命ぜられるという事態において自衛隊がその任務を有効かつ円滑に遂行する上での法制上の諸問題である。問題点の整理が今回の研究の目的であり、近い将来に国会提出を予定した立法の準備ではない。

現行憲法の範囲内で行うものであるから、旧憲法下の戒厳令や徴兵制のような制度を考えることはあり得ないし、言論統制などの措置も検討の対象としない。今回の研究の成果は、ある程度まとまり次第、適時適切に国民の前に明らかにし、そのコンセンサスを得たいと考えている。そこでは、あくまで「現行憲法の範囲内」での作業であること、また「外部からの武力攻撃に際して」の対処であること、さらに「研究」であって法制化の意図はない、と強調された。その後、進展状況につき八一年四月と八四年一〇月に中間報告が発表されたが、この間、国会における論議は散発的な質疑がなされたていどで、有事法制論議は以後二〇年間、封印された状態にあった。

だが、一九九七年九月、日米間で共同作戦の基盤となる「新ガイドライン」が合意され、実効性を確保するための国内法「周辺事態法」が九九年五月に成立すると、「有事法制研究」は日米同盟のあらだなよそおいの下で法制化へ動きだす。新ガイドラインに、周辺事態における自衛隊の「対米後方地域支援」任務が新設されたためである。それとともに新ガイドライン別表は、米軍による「民間空港・港湾の一時的使用」けじめ輸送・医療・給水など広範な「地方公共団体と民間企業」の協力事項も盛り込んでいた。これを受け周辺事態法第九条には、地方自治体と民間に対する国の指示権が規定された。米軍・自衛隊一体となった新活動は、地域と民間にあらたな戦争基盤をつくりだし、協力体制を整備してはじめて成り立つ。それが二人の首相の施政方針演説に反映されるのである。

「有事関連法案」は、二〇〇二年国会に「武力攻撃事態法案」「国家安全保障会議設置法改正案」「自衛隊法改正案」の三法案として提出された。核心となるのは「武力攻撃事態法案」である。そこに盛られた「武力攻撃事態」という新概念の定義が論議の焦点となった。武力攻撃事態法案には、この用語が三とおりの意味で用いられる。武力攻撃一我が国に対する外部からの武力攻撃、武力攻撃事態武力攻撃が発生する明白な危険が発生していると認められるに至った事態、武力攻撃予測事態一武力攻撃事態には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態。以上三つをまとめて「武力攻撃事態等」という。

もはや「防衛出動が命ぜられるという事態」のみが有事ではないと理解できる。有事の定義を時間・空間ともに拡大させただけでなく、それらを「等」で一括し、すべてに適用させる融通性をもたせたことに大きな特徴がある。まだ七八年の説明範囲だが、加えられた新ケースも、「武力攻撃事態等」に入るので、政府は対応権限を行使できることになる。幅広い「国家緊急権」の掌握である。「予測事態」とは、時間的には「武力攻撃」発生前の段階から動き出す事態、また地理的には日本領域以外で発生した事態と受けとめられる。それがすぐさま「我が国に対する直接侵略」(自衛隊法第三条)や「外部からの武力攻撃」(同七六条)につながるとはかぎらない。