2013年11月5日火曜日

豊かな森林を守る

伝統的な建築技法ができる大工、石工は仕事に恵まれ、その高度な水準が維持されている。その典型が、第四代国王による一九八〇年代から九〇年代にかけてのプナカーゾンの大修復で、これはブータン建築の粋を集めたものであり、修復なった現在のゾンは往年にも増して立派である。その他各地で数多くのお堂、チョルテン(仏塔)が、王家に限らず、一般信者により新たに建立されており、伝統建築は、都市部での近代建築に劣らず、一種のブームを迎えているということができる。その他、「タンカ」と呼ばれる伝統的な仏画なども、経済が活況を帯びている中で、王家、政府、仏教界、一般信者が熱心で有力なスポンサー「メセナ」的存在となり、その庇護の下に維持され、新たな発展が見られる。

世界自然保護基金(WWF)には、毎年世界の指導者の中で環境保護にもっとも大きな貢献をなした人に与えられるポールーゲティ賞があるが、二〇〇六年度は第四代ブータン国王に与えられた。図らずも、受賞後しばらくして、国王は三四年の治世に自ら終止符を打ったが、この賞は国王の全治世を通じての一貫した環境保護政策を象徴するものである。ブータンは、海抜一〇〇メートルほどの亜熱帯地帯から、標高七〇〇〇メートルを超える雪山地帯まで変化に富んだ気候、地勢があり、もともと世界的に動植物種の豊かな国である。この恵まれた環境は、近代化が始まった当初、ブータン最大の資源と見なされ活用された。最初に注目された分野は林業で、一九八〇年代にはブータンにとっての最も重要な工業、商業分野となった。

しかしこの初期段階で、近隣諸国が犯した森林伐採の過ちを反面教師として、ブータンは抜本的に政策を転換した。ベルギーの新聞記者の質問に答えて、「ヒマラヤが栄え、雨雪が降り、森林が茂る限り、我が国は安泰であり、政府はそうあるように努める」と述べた第四代国王の言葉が、ブータンの方針を象徴しているであろう。そして現在では、国土に占める森林の割合が六〇パーセントを下回らないこと、環境を劣化させ、野生の動植物の生態を脅かす工業・商業活動の禁止などが、法律で定められ、ブータンは自然環境の保護、自然資源の活用という面で、世界の模範例と見なされている。

この成功は、国の政策に負うところが大きいであろうが、このことでわたしが第四代国王に質問したとき、国王は興味深いことを述べられた。「ブータン人は、森にも、川にも、湖にも、その他いたる所に精霊が宿っていると信じている。そして、その精霊の気を害すると崇りがあると信じているので、湖を汚したり、森の木を伐採したり、時としては大声を出したりすることを極力控えている。それは、自然環境保護という意識からではなく、全くの「迷信」に近いものであるが、国民はそう信じることで安らぎを得ているし、無意識的に自然保護に積極的に貢献している」。非常に慧眼な観察であり、それに基づいた政策がとられている。雪山を神々の座とする信仰、そしてそれを考慮した登山禁止令も同じで、民意の尊重と自然環境保護が、表裏一体のものとして一挙両得的に賢明に実施されている。

もう一つには、国王自身が環境保護政策が実際に行われているかどうかを厳しく監視していたことに負うところが大きいし、国王自身の生活態度も大きな要因であると思う。ティンプからプナカの谷に到着する地点で、幹線道路から少し離れたところに、ドゥクパークンレと縁のあるチメーラカンという有名なお堂がある。参拝者が絶えないが、舗装された車道はなく、徒歩でお参りするのが慣わしであった、というよりそうする以外なかった。しかし、自動車が普及しだすと、できれば楽をして車で行こうとするのが人間の常で、四輪駆動の車に乗っている人は、その特権とばかりに車でお堂の前まで乗りつけるようになった。