2012年12月25日火曜日

高額に及んだ治療

Yさんは結婚してなんと三ヵ月から、義父母に「(妊娠しないのは)どこか身体がおかしいんじゃないか」と迫られ、不妊治療に通院せざるを得なかったそうだ。最初に出会った不妊治療医のため、かえって卵管に重大な損傷を受けた。その後医者をかえたが、以来五年間、次々に開発される不妊治療を、すべてにわたって受け続けてきた。その彼女が、これまでの治療について、具体的に次のように説明してくれた。

不妊治療のための検査や治療を受けた病院は一〇ヵ所で、話だけ聞きにいったのは二ヵ所。治療は、一九八四年から一九八八年まで行なった。最初の一年は、近くの医院で不妊かどうかの観察治療。二年目は、少し離れた検査設備の整った病院や時には県外の病院に通院し、様子観察および不妊検査、後半は漢方薬や鍼灸治療も加わる。

三年目は、前半は不妊治療が優秀だと評判の遠くの大学病院へ、後半はその大学系列の自宅近くの総合病院で不妊治療を受けた。四年目前半は、前年に引き続き同じ総合病院で、後半は不妊治療で有名な遠くの個人病院へ、夫婦間人工授精(AIH)を受ける。五年目には、前年に続き、遠くの個人病院でAIH治療を、また一度ギフト法(配偶子卵管内移殖法)の体外受精を受けるためにA市の病院へ行った。

この五年間には、遠い病院や近くの病院、また高額に及んだ治療や簡単な治療などいろいろあった。さらに、そのような不妊治療で有名な病院には、わらにもすがる思いで女性たちが殺到するから、診察の待ち時間も相当なものであった。それらをすべてひっくるめて、通院した日数は四〇〇日、平均すると一回分は四時間四〇分をかけ約三OOO円也を払って治療を受けたことになる。しかも一日がかりの通院が月に平均で八日。そのうえ次回治療は自分の排卵、月経周期に左右されるわけだから、必ずしも定まったものではなく、アルバイトどころか、人と会う予定さえまったく立てられなかった。

そして最後に、「これまでかかった費用や、月経を確認するたびにまた、だめだったと、落ち込んでしまうつらさも、それから人工授精の苦痛や所要時間の浪費ももう慣れた。しかたがないと思う。けれども、それより、何よりもつらかったのは、身近な義父母など夫の親族たちから与えられる『不妊女は女じゃない』という有言、無言の抑圧だった」と語っている。

一九八九年の初秋、国立婦人教育会館で開かれた国際女性学会で女医レナーテークラインさんは、「現在、女性の身体にほどこされている不妊のための生殖技術の成功率は、ほんの四%だ」と報告してくれた。一〇〇人受けて、たった四人しか成功しない。それについてY子さんは、「高い数字を引き出すために、体外受精では対象女性の身体状態について何度も何度も検査やチェックをし、ちょっとでも受精確率が低いと考えられる因子が見つかれば、即刻追い返された」と語った。