2015年8月6日木曜日

スーパー地銀の誕生

前置きが長すぎたかもしれない。日本の金融市場における外資の動向を見る前に、まず検証しておかなくてはならないのは、九〇年代半ばになって、ふたたび加速し始めた新たな金融再編の流れであろう。

九八年四月六日、全米第二位の銀行持株会社シティコープとトラベラーズーグループとの対等合併が発表された。トラベラーズは、損害保険、生命保険、投資銀行業務、リテールの証券業務などを行う企業が、合併や買収などで一体化し形成された、多様な金融サービスを提供する企業体であり、金融コングロマリットと呼ばれる。

これによって、八〇年代半ば以来、内容はともかく資産規模だけは世界最大という日本金融機関の地位も失われた。シティコープのリード会長とトラベラーズのワイル会長という米国金融界の大物二人ががっちりと手を握る写真、そして同じ頃、貸渋り問題で国会に呼び出されて無気力に一斉に頭を下げている大手邦銀の頭取たちの写真が新聞に載っているのを眺めたとき、世界的にうねりをみせる金融再編成の波の中で、日米金融機関がおかれている立場の違いをまざまざと感じさせられたものである。

当時、トラベラーズは、ソロモンを買収して傘下のスミスバーニーと合体させたばかりであり、その余勢をかって日興謐券の中核部分まで手中に収めてしまった。その翌週には米銀上位十行中の四行を巻き込む二件の合併が発表された。

まずカリフォルニアのバンカメリカ(アメリカ銀行の持株会社で九九年四月に「バンクーオ リブーアメリカ」と改称)とノースーカロライナのネーションズ・バンクの合併によって、マクファーデン法(州際業務規制)で分断されていた米国の金融システムの中に、預金量全米第一位、総資産五七〇〇億ドル、株主資本四五〇億ドルの全国規模の銀行が誕生することになった。