2012年9月26日水曜日

モノの「ゆたかさ」からココロの「ゆたかさ」 へ

従来の考え方に従いますと経済学とは「人間の生存のための収入、所得、財政支出などの経済的な条件を検討するものである」といった常識がありました。しかし、「人間のココロ」に触れる、という問題を取り上げようとしますと、「人間のコミュニケーションと文化の発展のための経済的な条件を吟味する」ことが求められましょう。

ここでは「文化を充実させ享受しようとする消費者、企業、芸術文化関係者、自治体、政府はどのような経済行動を行うか」を多方面から探ってみました。また、J・ラスキンなど芸術や文化の経済学を創造してきた先駆者たちの考え方や現代における「生活の芸術化」への傾向など、いくつかの興味のある論点を付け加えて文化経済学の全体像を描き出すよう努力しました。

福沢諭吉以来、『学問のすすめ』には著者の教育への思いが込められています。この本では、文化経済に関心をもつビジネスマンや芸術文化関係者だけでなく、これから経済学や財政学を学習してみようと考えている学生諸君や市民の「経済学入門」ともなりうるように心掛けました。さらに学習を深めたいと考える方々には巻末の参考文献解題を御参照いただければ幸いです。

最近の企業や官庁における人間関係の特徴は一緒に仕事をしていても相手が「何を考えているのか」がわからない、ことにあると言われています。昔は「心に鎧(よろい)を着せる」という言葉がありまして、対話の相手の本当の気持がわからない、とか、相手の熱意が伝わってこないことに対する当事者の「いらだち」を表現していました。

今どきの若者でしたら最近、源氏物語などの古典ブームの影響もあって「あいつは十二単(ひとえ)だからな」と言うところでしょう。これは、なかなかにして、うまい言い方です。つまり柔らかい絹の着物でも十二枚を重ねれば、正装した本人の「真意を知ることは難しい」という状況を見事に言い当てています。たしかに、「よろい」よりも「じゅうにひとえ」のほうが一見すると優しそうで実に強固な防衛線が張られていることを示す素材としては最適なのではないでしょうか。