2015年7月6日月曜日

行動経済学の視点から見る為替レート

日本企業は過去何度となく、厳しい試練にさらされる中で競争力をつけてきた。円高ということでいえば、1985年のプラザ合意以降の時期との比較が面白い。当時、わずか3年ほどの間に円ドルレートが約250円から約125円にまで円高になる中で、日本企業は必死になって海外生産にシフトしていった。あのときのグローバル化への取り組みなくしては、国際市場における今の日本企業の存在はありえない。苦しい中で勝ち取ってきた競争力であるのだ。金融危機という大変な事態に直面して、世の中の関心は金融業に集中しがちだ。しかし、製造業、とりわけ輸出型の製造業も大きな脅威にさらされている。ただ、この脅威を乗り越えてこそ、より国際競争力を持った企業となるはずだ。

人間の心理を考慮に入れながら人々の行動パターンについて研究する分野を行動経済学と呼ぶ。人々の経済行動は、伝統的な経済学で想定されるほどには合理的ではない、というのが行動経済学の指摘である。人々は複雑な合理的計算をしながら経済行動を決めているわけではない。多くの場合には単純な行動原理に基づいているというのだ。要するに人々は超合理的ではないが、予測可能な程度に非合理なのである。たとえば、あるレストランのメニューに3000円と5000円のおすすめワインが載っていたとき、どちらも同じ程度に売れていたのに、それに7000円のワインが加わると5000円のワインがよく売れて、3000円のワインの売上が落ちるという。人々はワインの値段と品質を比べて選んでいるというよりは、メニューの中の他のワインとの比較で考える傾向がある。

他の商品の料金との比較で考えている人が多いので、メニューの中にどのような選択肢があるのかということが、その人の行動に影響を及ぼすのだ。為替レートの動きに対する産業界の反応を見ていると、この行動経済学の原理が思い浮かぶ。この文章を書いている当時(2010年7月)、円高の動きが顕著になってきて、1ドル80円台中ごろの水準にも届きそうな勢いであった。マスコミは、日本は15年ぶりの円高であると騒いでいた。15年前といえば円ドルレートが80円を切る水準にまでなった年である。それ以降はそんな円高は経験したことがない。だから大変だと産業界も警戒する。過去に経験した80円というレートが比較の対象となって、現在の為替レートもそれに近いと認識されているのだ。

しかし、冷静に考えれば、現在の80円と15年前の80円とはまったく違ったものだ。この15年間に米国の消費者物価はおよそ40%上昇しているのに対して、日本の消費者物価はほとんど変化していない。つまり同じ80円であっても、実質為替レートで見れば、現在の円ドルレートは15年前に比べて30~40%前後円安なのだ。名目為替レートは同じような水準であっても、米国の物価や賃金などは40%ほど高くなり、その分だけ日本企業の競争条件は有利になっているのだ。

それでも円はドルに対して少しずつ高くなっており、ユーロの為替レートも下かっており、1年前、あるいは2年前に比べてみればかなりの円高になってきている。ただ、それは数年前があまりに円安であり、そことの比較で相対的に円高になったのにすぎない。ここでも行動経済学の原理が働いている。少し前に経験した1ドル=100円とか110円という数字が私たちの頭に刻み込まれ、それとの比較で80円台の数字が非常に円高に見えるのだ。さて、今後の為替レートはどうなるのか、予測することはできない。ただ、本当の意味で超円高になっているわけではないことは認識しておく必要がある。グローバルマネーの動きによってはさらなる円高も可能性としてはあるのだ。