2013年12月25日水曜日

看護婦さんの賃金

一方で、高齢化が進んで長期入院する患者が増えてきた。このような変化に対応して病院によって、看護婦の配置は、患者二人に看護婦一人の多様になってきている。なお、おのおのの病院ではどういう配置をしているかを院内に掲示するようになった。患者になったとき、ベッドサイドにいつも看護婦さんの力強い腕、やさしいまなざしがほしい。要するに、看護婦さんにたくさんいてほしい。いったい日本の看護婦さんの八五万という数は、多いのか少ないのか。これはいちおう国際比較でみてみよう。人口一万人に対して日本の看護職員(看護婦・士、准看護婦・士、保健婦、助産婦)は七〇人(一九九二年)である。アメリカは九〇人、ドイツは四一人、英国は五二人、カナダは一二二人、フランスは五六人、デンマークは一七七人、スウェーデンは九九人(年次不同)。

先進資本主義国のなかでは、カナダ、アメリカに次いで日本は二番目。では、ベッドあたりの看護職員の数がどうなっているかをみよう。ベッドの数、つまり患者の数よりも看護職員の数が上まわっている国は、カナダ、アメリカ、デンマーク、スウェーデンで、日本、ドイツ、英国、フランスはドまわっている。一〇〇床あたりでみると、日本は四一人(一九九四年)、アメリカは五丘人、英国四〇人、フランス六九人、スウェーデン六一人(年次不同)というデータがある。次に看護婦の賃金についてみる。平均賃金の額については前に触れた通りだが、その賃金のワク組みは、国家公務員看護婦、つまり国立病院などに勤めている看護婦の賃金が標準になっていて、公立病院(自治体)の看護婦がこれに準じ、さらに民間病院の看護婦の賃金が、それに準じて決められる。

ただ、個人の病院になると給料表もなく、トップの裁量でなかみが決まるという前近代的な支払い方もまだのこっている。格差が非常に大きい。標準になっている国家公務員看護婦俸給表(医療啓二)をみると、看護婦の初任給は二級三号俸で十八万四千円。准看護婦のそれは一級二号俸で十四万九千六百円となっている。号俸は一年ごとにごフック上がる仕組みになっているが、等級のほうはなかなか上がらない。婦長で四級に上がるが婦長ポストは限られている。大多数が二、三級にとどまり、昇給カーブはゆるい。では、その賃金の出どこはどこかという素朴な質問におこたえしよう。

日本の医療費は、国民皆健康保険制度のもと、おのおのの支払う健康保険料と国や自治体の出す公費(税金)、さらに患者本人の負担金てまかなわれる。看護婦さんの賃金もそこから支払われるわけである。病気になって、病院の外来で診療や検査を受け、また入院してベッドのひととなると、診療内容別の費用(「診療報酬」という)を病院側が国に請求し、診療報酬支払基金を通して、病院に支払われる。つまり収入になる。もう少しくわしく言うと、看護料(入院料に含まれる)、外来初診料など基本診療料(ホスピタルフィー)と、手術その他の出来高払いの診療の費用(ドクターフィー)が病院の収入で、そのなかから看護婦の人件費が出る。ただ、看護の技術料といったものは明示されていない。

ペッドのひととなったとき、私はどういう看護婦・士さんと出会うのだろうか。一方、看護婦さんにとっても患者との出会いは同様にスリリングで、たとえて言えばお互い馬券を買うような趣きもある。当たるかハズれるかのどっちかしかないわけだが、この馬券だけはオール当たりであってほしいと願わずにいられない。その前に、看護婦さんの仕事、その日常はどういうものなのだろうか。「人命にかかわる尊い仕事」をしているという認識は、世間一般たいていが持っていて、総理府の調査(看護に関する世論調査、一九九三年)でも七三%の高率で尊い仕事と言っている。また五四%が、「看護婦さんは優しく親切にしてくれるひと」として期待している。

2013年11月5日火曜日

豊かな森林を守る

伝統的な建築技法ができる大工、石工は仕事に恵まれ、その高度な水準が維持されている。その典型が、第四代国王による一九八〇年代から九〇年代にかけてのプナカーゾンの大修復で、これはブータン建築の粋を集めたものであり、修復なった現在のゾンは往年にも増して立派である。その他各地で数多くのお堂、チョルテン(仏塔)が、王家に限らず、一般信者により新たに建立されており、伝統建築は、都市部での近代建築に劣らず、一種のブームを迎えているということができる。その他、「タンカ」と呼ばれる伝統的な仏画なども、経済が活況を帯びている中で、王家、政府、仏教界、一般信者が熱心で有力なスポンサー「メセナ」的存在となり、その庇護の下に維持され、新たな発展が見られる。

世界自然保護基金(WWF)には、毎年世界の指導者の中で環境保護にもっとも大きな貢献をなした人に与えられるポールーゲティ賞があるが、二〇〇六年度は第四代ブータン国王に与えられた。図らずも、受賞後しばらくして、国王は三四年の治世に自ら終止符を打ったが、この賞は国王の全治世を通じての一貫した環境保護政策を象徴するものである。ブータンは、海抜一〇〇メートルほどの亜熱帯地帯から、標高七〇〇〇メートルを超える雪山地帯まで変化に富んだ気候、地勢があり、もともと世界的に動植物種の豊かな国である。この恵まれた環境は、近代化が始まった当初、ブータン最大の資源と見なされ活用された。最初に注目された分野は林業で、一九八〇年代にはブータンにとっての最も重要な工業、商業分野となった。

しかしこの初期段階で、近隣諸国が犯した森林伐採の過ちを反面教師として、ブータンは抜本的に政策を転換した。ベルギーの新聞記者の質問に答えて、「ヒマラヤが栄え、雨雪が降り、森林が茂る限り、我が国は安泰であり、政府はそうあるように努める」と述べた第四代国王の言葉が、ブータンの方針を象徴しているであろう。そして現在では、国土に占める森林の割合が六〇パーセントを下回らないこと、環境を劣化させ、野生の動植物の生態を脅かす工業・商業活動の禁止などが、法律で定められ、ブータンは自然環境の保護、自然資源の活用という面で、世界の模範例と見なされている。

この成功は、国の政策に負うところが大きいであろうが、このことでわたしが第四代国王に質問したとき、国王は興味深いことを述べられた。「ブータン人は、森にも、川にも、湖にも、その他いたる所に精霊が宿っていると信じている。そして、その精霊の気を害すると崇りがあると信じているので、湖を汚したり、森の木を伐採したり、時としては大声を出したりすることを極力控えている。それは、自然環境保護という意識からではなく、全くの「迷信」に近いものであるが、国民はそう信じることで安らぎを得ているし、無意識的に自然保護に積極的に貢献している」。非常に慧眼な観察であり、それに基づいた政策がとられている。雪山を神々の座とする信仰、そしてそれを考慮した登山禁止令も同じで、民意の尊重と自然環境保護が、表裏一体のものとして一挙両得的に賢明に実施されている。

もう一つには、国王自身が環境保護政策が実際に行われているかどうかを厳しく監視していたことに負うところが大きいし、国王自身の生活態度も大きな要因であると思う。ティンプからプナカの谷に到着する地点で、幹線道路から少し離れたところに、ドゥクパークンレと縁のあるチメーラカンという有名なお堂がある。参拝者が絶えないが、舗装された車道はなく、徒歩でお参りするのが慣わしであった、というよりそうする以外なかった。しかし、自動車が普及しだすと、できれば楽をして車で行こうとするのが人間の常で、四輪駆動の車に乗っている人は、その特権とばかりに車でお堂の前まで乗りつけるようになった。

2013年8月28日水曜日

行動なきビジョンは白昼夢

パチンコでさえそうなのに、カジノだけは例外だと、どうして言えるのだろう。沖縄にカジノ依存症が蔓延すれば、治安の問題にもかかわってくる。治安が悪くなれば観光にも影響する。社会不安を招くカジノは、沖縄の観光とは両立しないのである。カジノが決定すれば、壮大な土木工事が生まれる。今のところ、知事が公約に掲げたものの、議会でも賛否両論があるらしい。アジアの各地でカジノを解禁し、さまざまな問題が起こっているのに、あえて導人しなければならないほど、沖縄の観光にとって重要なのだろうか。私は、知事の代理人ともいうべき沖縄県の観光行政を取り仕切る責任者に尋ねた。

氏は、「団塊の世代を中心に、長期滞在型の比率を高めたい。ハワイのように画一的になるのではなく、地域によって特色のある受け入れをし、沖縄らしさが感じられる観光地にしなくてはいけないと思う」と語った後、「カジノは、沖縄にメリットになるならいいと思う」と述べた。「なぜ沖縄にカジノですか?」私は尋ねた。「沖縄は外国人観光客が少ない。外国人観光客を呼ぶうえで、カジノは大きな要素になるはずです」「しかし、反対する人もいます」「カジノは賭博というイメージがあって反対する人もいますが、予防と対策をしっかりやればいいと思う。解禁されることで、ギャンブル依存症の対策もとれるのです」カジノを解禁してギャンブル依存症対策? 悪いジョークかと思ったが、氏はまじめな顔つきだった。「そうは言ってもカジノは賭博だと思いますが?」「賭博というからイメージが悪くなる。県としては、カジノをエンターテインメントと考えています。だから、カジノ単独では考えていません。沖縄の伝統芸能を見せる劇場、一万五〇〇〇人は入るコンベンションセンター、ゴルフ場などを合わせたものを考えていただければと思う」

これを聞いたとき、な~んだ、カジノが決定すれば、壮大な土木工事がはじまるということじゃないか。公共工事が減って息切れしている土建業者を復活させようという魂胆なんだと、うがったわけではないが、そうとしか思えなかった。それにしても、いったい、沖縄のどこにつくるのだろう。最初に流れたのは、海洋博のときにつくったアクアポリスのように、海上につくる案だった。その後、糸満や宜野湾の埋め立て地などが候補に挙がったが、最近では普天間基地が返還されたら、その跡地につくるのではないかという声もある。また、東側の美しい泡瀬干潟を埋め立ててその上に設置する案もあるという。いまや干潟は観光資源だということをまさか知らないわけではないだろう。それなのに、なぜ埋め立てて賭博場をつくろうなどという発想が生まれるのだろう。

「行動なきビジョンは白昼夢だが、ビジョンのない行動は悪夢である」と言ったのは「IPCC」のパチャウリ議長だが、こんなことをいつまでも野放図にやっていたら、ほんとうに沖縄は悪夢を見るかもしれない。「ホーミ(宝貝)食べていくか?」沖縄本島の北部に深い緑に包まれた亜熱帯の森が広がっている。これが「やんばるの森」である。この「やんばる」の東側にプロゴルファーの宮里藍さんの出身地「東村」があり、そこを抜けてさらに北上すると「安田」という集落に入る。「安田」と書いてアダと読む。かつてはアラと呼ばれていたそうだ。知人の紹介で、その安田に住むあるオバアを尋ねた。沖縄南部は弱アルカリ性の土壌で「島尻マージ」と呼ばれるが、このあたりは「国頭マージ」という酸性の土壌で、パイナップルがよく育つ。オバアがつくった完熟パイナップルは腰が抜けるほどうまかった。

もっとも、私の目的はそのことではなく、ここに「シヌグ」という旧暦七月の亥の日におこなわれる儀式があり、それについて聞かせてもらうことだった。夏の陽射しが当たらない縁側でひととおり話を終えると、オバアは私にこう言った。「あい、ホーミ食べていくか」私はひっくり返るほど驚いた。「エエーツ、ホーミ?」沖縄によく行く方ならご存じだろうが、「ホーミ」というのは宝貝と書いて女陰のことを意味する。それを食べていけって、どういうことなんだ。私の頭の中は大混乱をきたしていた。それを察知したのか、オバアは「あ、ああっ」と言いながら、黙って台所から鍋のようなものを運んできた。「ほら」私の目の前に突き出してニヤニヤ笑っている。「う~む」と、私は鍋で煮て黒くなったものを見て思わず吹き出しそうになった。貝というよりも小さなナマコのようなもので、掌を丸めてグーにしたような形をしている。たしかに形は女陰とそっくりだ。あまりにもエロチックなので、私はついつい見とれてしまった。

2013年7月4日木曜日

団塊世代の退職で浮く人件費を若者の給料に回そう

ある外資系企業が世界同時不況前に行ったという調査結果の伝聞ですが、金融資産(不動産は含まない、債券や株式や貯金だけの合計)を一億円以上持っていた個人が世界中に九五〇万人おりまして、そしてなんと、そのうちの六人に一人、一五〇万人は日本人だったそうです。逆に計算すれば日本人の八五人に一人がこれに該当します。しかもその一五〇万人の日本の大金持ちが持つ金融資産の合計は四〇〇兆円だったそうで、ということは日本の一四〇〇兆円の個人金融資産のうち1000兆円は、そこまで金持ちではない申の上のクラスが分散して持っていたということになります。

信じられない方も多いでしょう。ですが考えてみてください。戦後の日本経済の大発展の申で、たとえば従業員持株会や系列企業持株会などを通じて早い段階で今の先端企業の株を多く保有していた方には、目立たずに暮らしているけれども実は世界の基準で考えれば大金持ち、という人が大勢いらっしゃるのですよ。とはいっても彼ら高齢富裕層の資産は、消費に回らない限り企業の売上にはならず、我々下々の者の個人所得にも計上されません。そして、すでにお見せしたような現象、すなわち「税務署に申告された個人所得が〇四-〇七年に一四兆円も増えたのにこの間日本でのモノ消費がまったく増えなかった」という事実は、好況時においてすら、彼らが消費を拡大させなかったことを示しています。一四兆円もの申告所得の増加分、豪邸でもドレスでも高級車でも書画骨董でも買ってくれていれば、日本の小売販売額は史上最高を更新していたのですが。

またそうこうしているうちに不況になって、〇八年の一年間に日本人の金融資産は一一〇兆円減ったそうなのですけれども、その一〇分の一の一一兆円でも目減りする前に彼らがモノを買うのに回しておけば、これまた日本の小売販売額は市場最高水準に近いところまで達していたのです。 決して無理な話ではありません。一四兆円というのは一四〇〇兆円超の個人金融資産のたった一%ですよ。毎年その額を使ってもI〇〇年分の貯金があるのです。なぜ彼ら富裕層は、この際モノを買えばいいところを、目減りする金融資産をそのまま持ち続けていたのか。政府任せにしていないで自分の資産を守るために自らが行動しなければならないという自覚、そのためには今は運用ではなく自ら消費をすべきタイミングだということを判断する能力がなかったからです。

それがゆえに私は、彼ら自覚なき強者=高齢富裕層から、若い世代への所得移転を促進すべきだと言っているわけです。私は「困窮している一部の高齢者世帯への給付を減らして若者に金を配れ」と言っているのではありません。すでに引退した高齢者を「オマエも市場経済の中できちんと競争して役割を果たせ」と締め上げても、そもそも人権無視ですし、社会全体の経済効率も上がりません。引退した高齢者までもが市場経済原理によって締め上げられるのでは、社会全体にいたずらに恐怖心ばかりが蔓延して、若い世代まで暗くなってしまいます。ターゲットは、繰り返しますが、一四〇〇兆円の多くを死蔵している高齢富裕層です。

「高齢富裕層個人から若い個人への自発的な所得移転」と申し上げました。誰にそんなことを進める力があるのでしょうか。「政府はどういう政策を取るべきか?」と考えがちですが、推進主体は第一に民間企業であるべきです。供給過剰↓価格競争に悩む企業自身が、自分の長期的な生き残りのために、自助努力によって、消費性向が高い子育て世代にお金を回し内需を拡大すべきなのです。もちろん税収低下に悩む公共部門にも、同じような努力をすることは求められますよ。税金を払っているのは主として現役世代なのですから。ですがそのために税金を投人しては本末転倒です。





2013年3月30日土曜日

自分のフィールドを持つ

街でスナップ写真を撮るときも、相手が気がついたら「ありがとう」と言ったり目礼をするのが礼儀です。撮られることが不本意で拒否の意思表示があったときは、素直にしたがいましよう。アメリカでは写真家が街でスナップ写真を撮っても、その場でその人の使用許可のサインを取っておかないと、使ったときに人権侵害で訴えられることもあるそうです。スナップショットのショットには、撃つという意味もあります。ところかまわぬ乱写は、乱射に通じます。弾丸こそ発射されませんが、人を傷つける凶器にもなります。カメラは使い方しだいで、毒針にもなれば正義の剣にも慈母の目にもなります。写真を撮るには、それなりの責任がともないます。カメラを毒矢や狙撃銃にしないよう、特に公共の場所でのマナーには気をつけたいものです。

写真を長く楽しむためには、身近にカメラを向けたくなるような場所があるのがいちばんです。お気に入りの。狩り場”あるいは。畑”といったら大げさすぎるでしょうか。そこに行けば、ともかく獲物がいる、美味しい野菜がある、必ず何かしら面白い被写体がある、いい写真が撮れそうな予感がする、そんな場所です。いつも子供と遊びに行っている児童公園、毎日のように買い物に行く商店街、歩きなれたハイキングコース、若者たちでにぎわう週末の繁華街どこでもいいのです。

わが家の近所のお寺の境内は、四季折々、さまざまな表情を見せてくれます。満開の桜の下をそぞろ歩く花見客、木陰で涼みながら読書にふける学生さん、落ち葉の上を走り回る保育園児たち、雪合戦に興ずる子供たち。出かけるたびに目新しい光景に出会えるので、ついつい足が向いてしまいます。気がつくとアルバムは、目で見る俳句のような写真でいっぱいになっています。いずれも駄句ばかりですが、これからもこの畑を耕しつづけ、もっともっと美味しい野菜が採れるのを楽しみにしています。

前にも書きましたが、東京・八王子市にある高尾山も、わたしにとっては大事なフィールドの一つです。最初は健康のための山登りでしたが、あとからくる「ウサギ」たちに次々と追い越されるうちに、「カメ」の言いわけにカメラを持ってゆくことを思いついたのでした。そうするうちに、いつしか高尾山は筆者のアトリエ、わがフィールドになっていたのです。わたしにかぎらず、自然派といわれる写真家たちは、例外なく自分のフィールドを持っています。私の友人である桜井保秋さんは東京・羽村市に住んでいて、奥多摩地方に古くから伝わる祭りや行事を撮りつづけていますが、彼がもっとも力を入れているのは玉川上水の写真です。

この用水路は。。いまから三百五十年前、江戸の水不足を解消するため、奥多摩の山々から流れ出す多摩川の水を、羽村から四谷の大木戸まで引こうと計画されたもので、武蔵野を突っ切る四十三キロを、わずか八ヵ月たらずで掘り上げたといわれています。この玉川上水は、いまでは都会の風景の中にすっかり埋没し、ごく一部に面影をとどめるだけとなりました。雑木林をぬって流れる小さな流れに羽を休める水鳥たち、土手は野草の宝庫です。川沿いの遊歩道は都会で生きる人たちの憩いの場になっています。桜井さんは、いまや筋の自然となり果てた玉川上水をフィールドに、季節の移ろいをカメラに納めています。