2015年1月9日金曜日

人間絶滅工場

わたしは、アメリカのデトロイト市で、フォードの経営者やUAW(全米自動車労組)の代表と会ってロボット化について質問したが、労使双方ともおなじ意見だった。ロボットを導入しないと国際自動車戦争に敗れる、という意見である。全世界的にロボット化がすすめられる。ライバルに負けないために、敵を打ち倒すために。ロボットによる、代理戦争である。そのことは、工場の中で檻の部分が拡大し、工場全体がロポット園になることをも意味している。すでに兵器工場では、立ち入りチェックがきびしい。工場の中にもうひとつの檻がつくられ、ひろがり、工場全体が檻になりつつある。

ロボット化か秘密工場化にむかってすすむ。すでに、各企業、各工場のコンピュター化である。無人化は、非人間化の極限である。わたしは、日産座間工場の檻とビニールカーテンのわきを通り抜けながら、さいきん見学したおもちゃ工場を思いだしていた。おもちゃは、いまやほとんどLSl(大規模集積回路)を使ったエレクトロニクス玩具になっている。「ゲーム&ウォッチ」がその流行をつくった。ボタンを押すと液晶の動物や人間が動く。妨害物に当らないように行動させると点数がふえる。インペーダーゲームをポケット型にしたこのゲームが、いまのおもちゃの主流である。

だから、おもちゃ工場はいまや電機工場とおなじ光景となった。プリント基板に電子部品を埋めこむコンベア労働が中心である。コンベアではたらいている女子労働者(ほとんどがパートタイマー)の手首には、銀の鎖が巻きつけられていた。静電子の発生を防ぐためである。静電子がLSlに組みこまれたプログラムを混乱させてしまう、ときかされても、彼女たちが鎖によってコンベアに縛りつけられていることに変わりはない。

自動車工場の檻とおもちや工場の鎖。工場がコンピュータ支配による生産の場となって、労働者は囚人と化した。このことが、コンピュータ文明の未来を象徴しているようである。それでも、囚人となっても職場があればまだ幸せというものかもしれない。経営者の夢は「無人化工場」である。労働者を工場から駆逐すればするほど会社が儲かる。人間よりもロボットが大事にされる社会となる。百恵が引退しても、工場では、百恵第二号、百恵第三号が簡単につくりだされる。

『ロボット製造会社R・U・R』は、人類が滅び、咸丿情をもった男女のロボットが出現するところで終わっている。作者は、苦い想いをこめて、それをアダムとイブになぞらえている。コンベア労働の体験を日記にして出版したわたしの『自動車絶望工場』を、『自動車絶滅工場』と呼ぶ労働者は多かったし、いまでも多い。しかし、さいきんでは、「絶滅工場」に彼らの実感がこめられていた、ということがわかるようになった。ロボット絶望工場とは、「人間絶滅工場」なのである。