2014年5月22日木曜日

政策エリート自身の判断ミス

銀行など金融機関の行動は、いかに批判しても批判しすぎということはないが、そこで話が終わってしまっては、もちろんすこぶる中途半端である。なぜなら、その銀行にしてもヽもしかりに当時、金融の超緩慢が生じ、カネがダブダブにダブつくことがなかつたと仮定すれば、あれはどの愚行に走ることは、よもやなかったにちがいないからである。そして、金融の舵取りをし、マネー・サプライの任に当たるのは、言うまでもなく大蔵省・日本銀行などの政策当局であり、そこで働く政策エリートたちである。

したがって議論は、前章末尾近くで触れた「ハーヴェイーロードの前提」の問題に、ふたたび戻ることとなる。日本の「人の上に立つ人」すなわち政策エリートたちは、はたして彼らの守るべき「規律」を、よく守り得たであろうか。

残念ながらその答えは、言うまでもなく「ノー」だろう。というのは、もし彼らが、当然守るべき「規律」にしたがって行動していたと仮定すれば、金融の超緩慢は発生しなかったにちがいない。つまり、彼らの行ったマネー・サプライは著しく過剰であり、それはきわめて重大な政策ミスだった。

ところで、「ハーヴェイーロードの前提」に関連して前述したとおり、政策ミスには二つのケースがある。第一は、政策エリート自身が、判断ミスをおかす場合であり、第二は、政策エリートの判断は正確だが、それが政治的圧力によってねじ曲げられる場合である。

はたしてこのケースはどうであったか。明らかに、それは第一のケース、すなわち政策エリート自身の判断ミスだろう。それは、当時の事態の推移をひととおり観察しただけでも明らかだろう。たとえば、菅野明氏(全国銀行協会連合会専務理事)は次のように回想し、証言する。なお菅野氏は、当時、日本銀行理事として、政策決定の中枢にいた。