2012年8月23日木曜日

朴大統領への首脳会談提案

公開されたアメリカの外交文書によると、金日成首相は朴正煕大統領に何度も首脳会談を提案したという。初の南北対話が実現する直前の一九七二年五月二九日に、北朝鮮の朴成哲副首相が密かに韓国を訪問した。朴副首相は、朴正煕大統領と会見し金日成首相の意向として、南北首脳会談を提案した。しかし、朴大統領は頑として受け入れなかった。

全斗煥大統領への首脳会談提案

離散家族の再会が実現する直前の一九八五年九月五日、北朝鮮の許鎖副首相が密かに韓国を訪問し全斗煥大統領と会見した。許副首相は。金日成主席の親書を手渡し「首脳会談を行い、七・四共同声明(一九七二年)に基づいた統一案を作り南北不可侵宣言を行いたい」とのメッセージを伝えた。

全斗煥大統領は、一九八一年に南北首脳会談を提案したことがあった。北朝鮮はこの提案を逆に利用しようとしていると、全大統領は感じたようだ。全斗煥大統領がこだわったのは、自身を暗殺しようとしたラングーン爆弾テロ事件への謝罪であった。しかし、許鉄副首相は事件については「認めることも、謝罪することもできない」と譲らなかった。

この言葉で、全大統領は首脳会談には応じられない、と判断した。北朝鮮が対南軍事統一の方針を変えない限り、いくら首脳会談をしても意味がないからである。「史上初の首脳会談実現」への誘惑を感じながらも、全斗煥大統領は積極的な姿勢を見せなかった。「いくら紙の上に不可侵宣言を書いても、信頼を回復しない限り意味がない」と語ったのだった。それでも、会談を失敗に終わらせないために「金日成主席も、お元気なうちにソウルを見にこられたらどうか」とのメッセージを託したのだった。この背後には、金日成主席がソウルにはこないだろうとの判断があった。

この会談から1ヵ月後に、全斗煥大統領の腹心の部下として知られる張世東・国家安全企画部長が密かに平壌を訪れたが、金日成主席は、もはやソウル訪問に関心を示さなかった。