2012年8月23日木曜日

盧泰愚大統領の拒否

盧泰愚大統領も首脳会談に意欲を示した。ソウル五輪直前の一九八八年八月一五日の演説で南北首脳会談を呼びかけた。だが、ソウル五輪に反対していた金日成主席が応じるはずはなかった。盧泰愚大統領は、腹心の朴哲彦補佐官を何度となく平壌に派遣し、首脳会談の実現を求めたが、北朝鮮は応じなかった。

一九九〇年には、南北首相会談のために韓国入りした北朝鮮の延亨黙首相にも、盧泰愚大統領自ら首脳会談の提案を行ったが、金日成主席は応じなかった。ところが、一九九二年の春になって金日成主席は対南担当の尹基福書記を韓国に送り、四月一五日に平壌で首脳会談を行うことを提案した。盧泰愚大統領は、考えた末にこの申し出を断った。この時に決断していれば、南北首脳会談はすでに実現したのでれる。

なぜ、盧泰愚大統領は拒否したのか。四月一五日は金日成主席の誕生日である。その誕生祝いに、南の大統領が祝賀の挨拶に来たと宣伝されるのを心配したのである。

金日成・金泳三首脳会談合意

金泳三大統領は、カーター元米大統領の仲介で金日成主席との首脳会談に合意した。首脳会談は一九九四年の七月二五日に行われることになった。金大統領がまず平壌を訪れ、その後に金日成主席がソウルを訪問することになっていた。金日成主席は、ソウルで一〇〇万人の市民を前に「即統一を宣言する」と側近たちに語っていたという。だが、首脳会談一七日前の七月八日に金日成主席が急死し、会談は実現しなかった。